+++ウリュウアイスを食べた頃+++

 

 刺すような8月の朝日の中、陶子は汗だくになりながら自転車のペダルを踏んでいた。 

F県立瓜生高校。このまさに田舎のど真ん中にある、しかも少し小高い丘にそびえる校舎を、

陶子はグググとにらみつける。

 「世間は夏休みというのに。さぼってやろうかな」

 いくらぼやいても、何にもならない。彼女は瓜生高校女子バレー部のキャプテンであり、

しかも高校生活最後の公式試合、初戦まで、あと1週間というギリギリの状態だった。

行かなくてはならないのだ、学校へ。

 何とか正門にたどりつき、自転車置き場に向かう彼女は、後ろから自分を呼ぶ声に振り 向いた。

 「おまえ・・・・・・早いのお。自転車、時速何キロか?」

 同じクラスの田所だ。野球部の主将でありながら、陶子のスピードについていけなかったら しく

ハアハアと肩で息をしている。

 「普通にこいでたんだけど。自分主将でしょ?筋トレが足らんね」

 陶子は自分のバカ体力を呪いながら、一応言い返す。かごからスポーツバックを取り出し、

田所と並んで歩き出す。蝉の鳴き声が、うるさいくらいだ。うだるような暑さが、自転車から

降りたと同時にいっそう身体を包む。ペダルをこいでいるときのほうが、風を受けて涼しいのだ。

 「ねえ、野球部引退したのに、田所は何で毎日学校きてるのよ。夏休みだよ?」  

 ハンドタオルをポケットから取り出して、彼女は額の汗をぬぐいながら隣りの田所を見た。

彼は頭にタオルを巻いている。

 「後輩の指導やん。当たり前やないか。」

 「ふーん」  

 それきり二人はしゃべらず、部室が並ぶドアの前で分かれた。同じ運動部のキャプテン同士、

高校最後の夏が終わる寂しさに共通した思いがあることを陶子は分かっていた。

 「・・・・・・」

 軽くため息をついて気合を入れなおし、彼女は騒々しい声のする部室のドアを押し 開けた。

さあ地獄の練習が始まる。

 

 「麻生先輩!」

 そう呼びかけられた声にうんざりしたが、不快な顔は表にもださず陶子はにっこり微笑んだ。

 ここは我慢の上級生。

 「はいはいなあに。」

 1年生の坂本真理は、鬼のキャプテン陶子に物怖じせず話し掛ける。陶子の‘激ファン’ だと

公言している真理にいわせると、陶子の瞳にある強い光が、「めちゃかっこいい」らしい。 

私設ファンクラブまで作ろうとしている、と、本人から聞いた陶子は悲鳴を上げて嫌がった。

女子高でもないのに、このノリ。陶子の一番苦手とするものだった。

 「どこに行かれるんですか?」

 キラキラした表情にウッとなりながら、陶子は西校舎を指差した。

 「あっちの下駄箱。明日登校日でしょ。上履き洗ってきたから今のうちに置いてくる。監督、 

休憩15分ですね?」

 電話中の監督が指でマルを出したのを確認し、陶子は体育館を後にした。一歩外に出ると、

うだるような空気が彼女を包んだ。喧騒から離れて、不思議な静寂が訪 れる。汗の流れる顔を

空に突き出した。

 そのとき、けたたましい蝉の鳴き声と同時に、キラッ、キラッと鋭く光るものにはっと我に返った

彼女は、不審な顔であたりを見まわす。

 体育館のすぐ真向かいに、近代的な、まるで田舎には似つかわしくない巨大な建物が

そびえ立つ。何枚も並んだガラス窓から、そのキラキラとした光は出ていた。

 「あ・・・・・・練習してるんだ。」

 そうつぶやくと、フラフラとその建物に陶子は向かった。  

 

 研ぎ澄まされた肉体が、瞬間のエネルギーを使って飛びあがり、そして美しい形を描きながら

まっさかさまに落ちていく。 そしてその肉体は、静かに、一瞬で水面に吸い込まれたようだった。

プールサイドに水飛沫が飛びもしないのが、全く不思議だった。プチャン、と小さな音をたてるだけで

後はじっくりと水面へ這い上がって来る。

 中で練習している皆川に気付かれないよう、陶子は入口からそっと身を乗り出して覗いていた。

 しかし次の瞬間、突然目の前に水面から上がった皆川の姿が現れ、思わず彼女は小さな声を上げた。

 皆川竜二。彼のことを知らない人間は、この高校、この町、この市全域、いやまだ広い範囲 でも

いないはず。田舎から初めて出た全国区有名人。そして、 同学年ながら、皆川とは今日まで一つも

接点 がない。そもそも、理系と文系、天才と凡人である。もちろん凡人は陶子の方である。

 「・・・・・・反射していたのは、あの飛びこみ台の板だったんだ・・・・・・」

 あまりの緊張で、陶子はつぶやくように言った。陶子の言葉に、皆川は飛びこみ台に目をやる。

そしてまた視線を戻し、じっと、とにかくじっと陶子 にその視線を注いだ。顔から流れる水滴を、

ぐっと大きな手でぬぐっている。

 何か言わなくてはまずい、とあせるばかりで、陶子は背中に冷や汗が流れるのを意識した。 

彼は、蛇が蛙を射ぬくような目で陶子をまだ見ている。

 「あの、今日は自主練習?」  

 「・・・・・・うん。」

 「あの、私・・・・・・。皆川君の気持ち、よく分かる」

 言ってしまって陶子はハッとした。皆川の表情が、一瞬目が覚めたように同じくハッとした

からであり、また、意味不明のことを口走ってしまったことに自分自身でびっくりしたからだ。

 陶子は、少し後ずさり、小さく礼をして走り出そうとした。顔から火が出る、とはまさにこのことだ。

 「ちょっと待てよ。」

 陶子の背中に投げられた言葉に、彼女は内心ギョッとした。やっぱり怒られるのかもしれない。

無断で練習覗いたから?

 恐る恐る振りかえる陶子は、普段の自分とは全く違う自分がここにいることを意識した。

いつもなら、練習を覗かれたぐらいでなぜ怒るのよ!と怒りが込み上げてくるはずなのに、

今の陶子は、その威勢が影を潜めていた。

 何か言いたげな、もどかしそうな目をちらりとみせた皆川は、そしてニコリとも微笑まずこう言った。

 「今度の試合、がんばって。」

 

 「えー!めちゃくちゃうらやましい」

 食堂にいたほぼ全員が、陶子たちのグループに目を向けた。まだ叫び出しそうな有香の口を 

手でふさいで、陶子は慌てて座らせた。

 「昨日の休憩の間に、そんなおいしい目にあってたなんて!皆川竜二よ?なっかなかしゃべれ

ないわよ」

 まだ興奮さめやらない有香は、身振り手振りがついつい大きくなる。ちらちらと見る人が多いのは、

ただ騒がしいからだけではない。バレー部だけに、すらりと背が高い彼女たちは、なかなかに

目立つ存在だった。

 「しっかし、普段はあの練習場、コーチとかトレーナーとか取材の人とかで賑わってるのにね。

た またま一人だったんだ」  

 洋子がやはりうらしましいという顔で続けた。

 「あの施設、皆川君一人のためだけに、後援会と町が建てたんだよね。すごいわ、やっぱり」

 「来月、オリンピックの選考競技会でしょ?確実だってよ」

 友人たちの興奮しきった話し振りを、陶子だけは、ぼんやりと聞いていた。

 皆川くんは、なぜ今度試合があると知っていたんだろう?でも、よく考えて見ると、私はバレーの

ユニフォームを着ていた。運動部の公式試合の日程なんて、簡単に知ることができるから、

やはり単なる偶然なのだろう。

 それ以前に、私のことを彼は知っていたんだろうか?同じ学年であることを。皆川くんは9組だけど、

私は3組にいることを。

 結局仲間たちには、プールで彼に会ったことしか言わず、声をかけられたことは 黙っていた。

理由は自分でも分からない。

 「ちょっと。またこの子はウリュウアイス食べてるよ」

 有香が陶子を見てあきれたように言った。陶子はこの土地名物のウリュウアイスが大好物で、

売店で売っているものだからついつい休み時間などに食べてしまうのだ。近くの茶園で取れる

茶葉を利用した、少し苦味のあるアイス。

 「ホント、陶子はウリュウアイスばっかだよねえ。お茶の味苦いでしょ?」

 「・・・・・・おいしいよ」

 なんとなく生気のない陶子を、有香たちは不思議そうに眺めた。

 

 夏が過ぎ去ったあとは、嫌でも秋がやってくる。

 7時間目まで授業が終わり、受験生である陶子には残り2時間の課外授業があるはずだった。

しかし彼女の姿は教室にはなく、食堂にあった。やはりウリュウアイスを食べている。

 バレー部は、今大会善戦むなしく4戦目に、ライバル瓜生東校に敗退。陶子の夏は終わった。

 部活、部活、部活の日々に鳴らされていた身体は、ここ2、3日机につくことに拒否反応を

起こ させている。

 「あ〜あ」  

 口に出してため息をつきながら、皆川竜二の活躍に思いをめぐらせた。競技会の応援は、

それはすさまじいものだった。町の人口の3分の1が会場へ応援にかけつけ、居残り組みは

公民館などに集まりテレビの放送を息を止めて見守った。

 これだけ期待されて、なおかつベストの結果を 残すところに、皆川竜二の本当の強さが光る

ということだ。

 町の歴史始まって以来のオリンピック選手の誕生に、だれもが酔いしれた。

 しかし陶子はなぜか、彼の快挙をもろ手を上げて喜べなかった。

 「皆川君の気持ち、わかる」・・・・・・そう口走ってしまった自分の気持ちを、あの日から今日まで

繰り返しえぐりだして、ザルでふるいにかける。何も根拠がなく言った言葉では、決してないのだ。

同じスポーツをするものとして、プレッシャーの恐ろしさはイヤと言うほど知っている。

 

 実は一度、今年の春、出かけたCDショップで陶子は皆川を見かけたことがあった。

 祝日だったので人も多いかったがもちろん皆川は有名人だから(またみてくれもいいので、

とても目立つ)、一目で彼と分かった陶子は、思わず商品棚に身を隠し彼を盗み見た。

 真剣な顔で、何かのCDを試聴している。その端正だけれど真剣過ぎる横顔を見つめている

うちに、陶子はだんだんと胸が締め付けられてきた。確か、明日試合があるはずだ。さっきまで

練習をしていたのか、髪が少し濡れている。

 皆川は、いつまでもヘッドホンをはずさずその場に佇んでいた。

 今も、その時の彼の顔をよく覚えている。その表情は、消えてなくなってしまいそうな、薄い皮

1枚でつながった表情のように陶子の目には思えたのだった。

 今回代表なんかに選ばれて、果たして彼のためだったのか。  

 そんな言葉が陶子の脳裏に浮かんだ。

 どさっと、陶子の座っているテーブルの真向かいに人が腰掛けた。物思いを邪魔されて、

怪訝そうに顔を上げた陶子は、食べていたウリュウアイスを落としそうになる。皆川竜二が、

無言で座っていた。

 食堂はがら空きなのに、陶子の目の前に座るということは何かある。しかし今の彼女は

そう分析するだけの余裕などなく、ただうろたえて言葉を選んでいた。

 「この前は、おめでと。すごいね」

 「・・・・・・それ、好きやね」

 「は?」

 皆川は陶子の手元を指差した。

 「そのアイス、いつも食べよらん?」

 「うん。おいしいよ。皆川くんも食べてみたら?」

 何だこの会話は・・・・・・陶子は内心あせってきた。彼の前に出ると一瞬にして頭に血が上る。

その理由は、とっくに陶子自身は自覚していた。

 皆川は少しイス を引き、背もたれに大きく引き締まった体をあずけた。

 やはり彼は、何も言わずに黙っている。

 陶子はまったく困ってしまっていた。緊張するのは当たり前だ。今まで雲の上の人状態だったし、

同じクラスにさえなったことない。そして何より、陶子は彼のことが好きだった。あの夕暮れの

CDショップで佇む姿を見てからは更に、気持ちが急上昇している。

 陶子には、むしろなぜ皆川がここまで陶子に親しくするのか、それが不思議でもあった。

陶子は顔を伏せた。同時に、彼女の結んでいる長い髪が、パサリと肩ごしにはねた。

 じっとそれを見ていた皆川が、ぽつりと口を開いた。

 「俺、プレッシャーには今まで負けんつもりでおったけど」

 その言葉を聞いた陶子は、しっかりと顔を上げ皆川の顔を正面から見た。そしてはっきりと、

声に した。

 「今は?」

 しばらく沈黙が続いた。皆川も、長い間陶子の顔を見ていた。息苦しい沈黙だ。陶子は、

息継ぎさえもできずにいる。そしておもむろに彼は、

 「負けてないよ。」

 そう言って陶子を驚かせた。彼女の口が微笑みの形に開こうとした時、いきなりこう聞かれた。

 「あんた、バレー部でポジションどこ?」

 「え、私?・・・・・・セッターだけど・・・・・・」

 「セッターか。難しいポジションだな。セッターだったら、気持ちのいい緊張感味わったこと

あるやろ。自分の判断で、試合が決まるわけで、それはすごい重圧だけどさ。でも、急にその

事実が心地よくなったり。 そういうこと、ない?」

 陶子はだんだんと、安心感にも似たものが胸を占めていくのを感じてた。こういう言葉。

まさにこういうポジティブな言葉を、皆川の口から、喉から、心の中から聞き出したかったのだ。

そして、自分に置き換えて自分自身も納得したかったのだ、部活でスポーツを真剣にやっている

自分への開き直りとして。

 彼女は、胸が熱くなってきた。ズン、と麻痺したように胸の一部分が熱く熱くなってきた。

そして気がつくと、こう言っていた。

 「うん。それ、よく分かる。緊張って、かえって自分のものにしてしまうとすごく快感。」

 「もう一種の病みつき。」

 そう即答された陶子は思わず笑った。皆川も微笑む。

 そしてハタ、と、どうして私はこんなに彼のことを心配していたんだろう、と初めて疑問に思う。

 私が心配しなくても、強い精神力を持つ彼がプレッシャーを跳ね除けることなど、一目瞭然では

ないか。

 「名前・・・・・・、何て言うの。」

 陶子ははっとした。皆川は変わらずまっすぐ彼女を見据えている。

 「3組だろ?組は知ってる。バレー部だってことも知ってる。全てのスポーツが得意だってことも

知ってる。家が末長町だってことも知ってる。」

 陶子はこの皆川の言葉に、口をあんぐり開けて呆然とした。

 「なぜ・・・・・・」

 「なぜと思う?」

 逆に聞かれて、陶子は気が遠くなりそうだった。

 「私は・・・・・・皆川君のことなら何でも知ってる。」

 陶子の消え入りそうな声を聞いて、椅子に深く背もたれていた皆川はテーブルに肘をつけ、

手に顎をのせた。

 

 どちらともなく、無言で立ちあがった。そして示し合わせたように、食堂を出て行く。

 秋の風が吹く、薄暗くなった渡り廊下を二人は行く当てもなく、ただ歩いた。

 しばらくして、陶子は自分の手が、暖かい皆川の手に握られていることを感じた。

                                                     *続編あります→ココ

     

Background photo by MIYUKI PHOTO.

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