+++  上は何をする人ぞ  +++

 

−1−

 お隣さんが最近物音1つしないのが少し怖いのよね・・・・・・、と、友人のMから

雑談の中で打ち明けられたとき、私はとてもドキリとした。それで?と話を促し

ながら、無意味に右手人差し指の指輪を触る。

 留守というわけではないらしい。たまに、本当にたまにコトリ。と小さい音が

するらしい。けれど、以前のような生活音がぱたりと止まったので、Mは心配して

いるようだ。警察にでも相談した方がいいかしら?とまで言う。

 「Mの家って、アパートになるのかな。コーポ?」

 「木造のアパートよ。だから音が丸聞こえだったの。もちろん、わざわざ好んで

聞いていたわけではないのよ、‘聞こえて’くるんだからしょうがなかったの」

 「アパートなんて、そんなものよね。周りの生活音なんて、自分の生活の一部

になるものよね」

 Mの言葉に、私は多少なりともほっとした。彼女との会話を終え、携帯電話を

しまう。そう、好んで聞いているわけではない、‘聞こえて’くるのだから、しょうがない・・・・・・。

 その時、ザザザ、と、駐車場に車が入ってくる音が聞こえた。砂利が敷き詰められて

いるので、目立つ。私の部屋は、このコーポの1階1号室。2DKの部屋は、窓を

介して駐車場に面している。

 そして、私の部屋の真正面に、車が停まった。もちろん、駐車場に入ってくる

音でその車だということは分かっていた。

 ここからが、私が先ほどのMの言葉で正当化できた自分の心理状態なのだが、

そう、決して好んで聞いているわけではないけれど、聞こえてくる音たち。

 それを、私は、例えテレビを見ていたり本を読んでいたりと、他のことをしていても

聞いている、聞いてしまっている。

 駐車場に車を停めたその人は、ドアを開け、砂利の地面に降り立つ。ドアを

閉め、鍵でピッとロックをする。ザッザ、と大股に歩いて、コーポの階段へ向かう。

カンカンカンカン・・・・・・と、鉄製の階段を音を鳴らして上がり、ガタガタ、と、

私の部屋の真上の部屋のドアを開け部屋に入る。

 

 私はほっと吐息を漏らした。真上の部屋には、男性が1人暮らししている。なぜ

男性か分かるかというと、車の種類や、歩き方から察したこともあるし、車に乗る時に

一度携帯電話で短く話をしていたその声から分かったのだ。

 実は、私がここに越してきた3ヶ月前、何度か挨拶に部屋まで行ったのだが、

いつ行っても留守で結局挨拶できないままだった。

 彼が部屋に毎日帰ってくるようになったのは、ここ1ヶ月ぐらいから。毎日午前7時半

には部屋を出、帰りはまちまちのようだ。

 部屋に入ってからは、そこまで物音はしない。時折歩く音や水が流れる音がする

だけで、騒音があるわけでもなく、とても模範的な上の階のヒト、という感じだ。

 ぼう、とそんなことを考えていて、私ははっとした。ぶるぶる、と頭を振って、つけていた

テレビのバラエティー番組に意識を集中させる。

 私はもしかしてストーカー気質なのか?と、少々怖くなる。けれど、みんな、多かれ

少なかれ集合住宅に住む人は、隣近所の物音をある程度把握して生活しているよね?

ワイドショーで殺人事件なんかのご近所インタビューで、みんなやけに詳しい情報を

言うじゃない・・・・・・。と、私はまた正当化しつつ、もう考えるのはやめよう、と立ち上がって

浴室に向かった。

 

 次の週の日曜日、ここから車で40分ほど離れた実家から、父が1人でやって来た。

 私は24歳のこの歳までずっと実家住まいで、1人暮らしに憧れていた。今年の2月に、

長兄が結婚し実家で同居を始める、と聞いたとき、私は家を出て自立することを決めた

のだ。

 実際に1人暮らしは、慣れるとなかなか満喫できる。実家には、なんとなく新婚家庭に

遠慮して足が遠のいている。

 突然の父親の訪問に、少々驚いたけれど、多分私のことが心配で来たのだろうな、

ということが分かるので、なんだかおかしくなった。

 「変なことはないか?」

 「変なことって?」

 台所でお茶を入れていた私は、あぐらをかいて部屋に座っている父を見やった。

 「怪しい人間が窓から覗いているとか、駅からずっとつけてくる、とか。下着は部屋の

中に干しているか?」

 「大丈夫よ。そのあたりは用心してるから」

 父は、私に関しては相変わらずの心配性だ。その時、上の階から物音がした。

掃除機をかける音だ。父は上を見上げた。

 「意外と音が聞こえるな。上も1人暮らしの女性か?」

 「ううん、男の人みたいよ」

 「なに?」

 男の人、に父が激しく反応したので私は慌てて付け足した。

 「きちんと見たことはないけれど、多分男の人。ほら、窓から車が見えるでしょ。あんな

四駆、男の人しか乗らないし」

 ふうん、と苦虫を噛み潰したような顔をした父に、熱い日本茶を注いだ湯飲みを

手渡した。

 「こうやって日曜日たまに掃除機かけたりしてるから、マメな人なのか、それとも彼女が

来てるのか。分からないけどね、そこまでは・・・・・・。おもしろいよね、こういうコーポって、

色んな人が住んでるから」

 「何か変なことがあったら、すぐに家に電話するんだぞ」

 私の話を聞いているのかいないのか、いやに真剣な顔をして父は言った。

 

 1時間ほどいた後、父が帰るというので私はサンダルを履いて一緒に外へ出た。

5月のうららかな陽気が心地よい。

 駐車場に回って、来客者専用のスペースにとめた車に父と向かう。

 「たまには帰って来いよ」 

 そう言い残して、クラクションを1回鳴らして父は帰っていった。父の車に手を振り、

軽く羽織ったカーディガンが5月の風に舞ったので少し身体に巻きつけ、部屋に

帰るべく振り返る。

 と、見るとはなしにコーポの2階を見上げてしまった。日差しの眩しさに、少し目を細める。

上の階の住人は、窓を全開にして掃除機をかけているようだ。

 チラリと人影が部屋の中で動くのが見えたので、なにとはなしに慌ててしまった私は、

足早に部屋へ戻った。

 

   

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送