<<< 喫茶店 毬藻 >>>

-撃たれる・2-

 

 「優妃ちゃんにしか頼めないの」

 雅也の母親は、言葉の語尾に何度もそのフレーズをつけて優妃を怯えさせた。

 そう、優妃は怯えた。2つの事実に、彼女は怯えてしまったのだ。

 まずは、雅也が仕事中交通事故にあって今都内の病院に入院していること。

 そして、優妃のことを幼い頃からよくしっている雅也の母親が、まだ2人は関係が続いていると

信じて疑っていないこと。

 その2つは、じわじわと受話器を持つ優妃の手のひらに、汗をかかせた。

 「それで、容態は大丈夫なんですか?」

 「ええ、外科病棟にいるのよ。足やら腕やら骨折してね。命に別状はないのだけれど・・・

おばさん、今週末にしか、こっちを発てないの、仕事がどうしても休めなくって。だから、2、3日、

優妃ちゃんに様子を見に行ってもらえないかと思って・・・・・・」

 九州にいる雅也の母親は、この広い東京で優妃にしか頼る人がいないと何度も言う。

 優妃は言葉少なに、病室の番号を聞いて電話を切った。

 今寝転んだ優妃は、目元まで被ったシーツを、頭の上まで引っ張りあげた。

 雅也が入院・・・・・・。事故に・・・・・・。大丈夫だろうか、と、優妃は思う。昔の彼氏が危ない目に

あって、少しは心配しない人はいないと思う。それも、知らないならまだしもこうやって知らされて

しまったからには、心配するなというほうが無理だ。

 明日・・・・・・行かなきゃならないなあ。心配な気持ちとは裏腹に、憂鬱な気分になって優妃は

ため息をついた。

 

 思ったより、雅也は元気そうだった。ただ、左腕と右足をぐるぐる巻きにされているのが、痛々しかった。

仕事を終えて、急いで病院に着いたのが午後5時半。面会時間は午後7時までなので、優妃はその

時間までいることにした。来る途中買って来た花を、花瓶に飾ってベッドサイドの棚に置く。

 4人部屋の他の人は、中年の男性と老人の男性が2人だった。みな、食後の自由な時間を過ごしている。

 優妃は、ベッドサイドの椅子に腰掛けて、じっと雅也を見た。

 顔色はいいが、少し疲れたような目をしている。短く刈りこんだ髪の毛に、ちょっとネグセがついていた。

 「・・・・・・ついてなかったね」

 優妃が初めて口を開いた。雅也は伏せていた目を、嬉しそうに優妃に向けた。

 「こっちは青信号だったから、安心して渡ってたんだ。びっくりしたよ」

 「そっか」

 「どうしてここが分かったの」

 「おばさんが電話してきたから・・・・・・」

 その一言で、雅也は全てを理解したらしい。自分の母親がとった行動を、彼は瞬時に手に取るように

分かったのだ。

 「ごめんな。相変わらずなんだ、母さん。押しが強いから、断れなかったろ?」

 「うん。しかも、まだ私たちが付き合ってるって思ってる」

 そのことには、雅也は何も返事をしなかった。ただ、じっと自分の骨折した足元を眺めるだけだった。

 「なんか、悪かったなあ。用事あるんだったら、無理しなくてもいいよ?」

 よくないはずなのに、カラ元気をだしている。そういう時の雅也は、大きな目をさらにグリグリとさせる癖が

抜けない。優妃はその目を見ていると、この雅也を置いて今帰ることができるはずもないと、思い知った。

 

 その日から3日間、優妃は仕事を終えこの病院に通った。しゃべることが好きな雅也の、おしゃべりの

相手。2人とも、傷の部分には触れ合わず、単純に幼い頃からのことや学生時代のこと、同級生たちの

ことなどを笑い合った。

 「優妃は、これからずっとあそこで働くの?」

 そう雅也から聞かれたとき、優妃は言葉に詰まった。

 陸上部の監督から誘いがあった、と、一言打ち明ければこのことに対する意見が聞けるかもしれない。

けれど、優妃はそうしなかった。雅也に打ち明けるその彼への親しみは、今の優妃にはもうなかった。

 「雅也!優妃ちゃん!」

 雅也の母親が来たのは、3日目の午後6時を少し過ぎたくらいだった。九州から駈けつけてきた彼女は、

息を切らせながら病室へ飛びこんできた。

 「優妃ちゃん、迷惑をかけちゃってごめんね。すっかり見ないうちに、まあ、大人の女性になって」

 賑やかな雅也の母親は、登場したとたんまわりの人間を自分のペースに巻き込んで笑いを誘った。

 2、3日近隣のホテルに泊まりながら雅也の看病に通うと言う。自分の家に泊まるように、とは、優妃は

言わなかった。

 「また、様子を見に来てやって」

 そういう雅也の母親に笑顔で手を振りながら、優妃は病室を出た。母親に気付かれないように、その

背後でこっそり両手を合わせて謝る雅也を思い出しながら、優妃はマンションへ帰った。

 

      

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送