<<< 喫茶店 毬藻 >>>

-撃たれる・1-

 

 静かな午後だった。

 客足も途絶え、店の前を歩く人々は、吹く秋の風に震えるような顔をして、黙々と通り過ぎていく。

 道路を挟んで向かい側にある才田の美容院も、お客が1人もいないようで、椅子に腰掛けた才田が

新聞を読んでいる姿がガラス越しから見て取れた。

 「今日は、暇ですね」

 カウンターに座りメニュー表に新メニューを書き足していた優妃は、ふと顔を上げて毬藻店長の顔を

見た。何かを熱心に読んでいる毬藻は優妃の言葉に気付かずにいたが、優妃の視線を感じてはっと

したようにうなずいた。

 「そうね。こんな日も、あるわね」

 「ただいまー!」

 その時、小学校からいっくんが帰って来た。目深にかぶった帽子はいっくんのトレードマークになって

いるけれど、今日は被らず手に持っている。

 おかえり、と毬藻店長と優妃が言うと、いっくんは今日あったことなどを一気ににしゃべり、一息つくと

着替えに2階へ上がって行った。

 「あ、そうだ、いっくん!」

 毬藻店長が何かを思い出したように声をかけたが、すでに2階にあがってしまったいっくんの耳には

届かず、店長はちょっとごめん、と、2階へ駈け上がって行った。

 

 優妃は手に持っていたペンを片付けるためとカウンターの中に回ったとき、そこに雑誌があることに

気付いた。

 30代の女性をターゲットにしたファッションと文化の雑誌だったが、優妃の目にとまったのは表紙の

「桜木仁」という名前だった。

 ロングインタビュー、桜木仁。熱心に読んでいたのは、これだったのか。

 優妃は立ち止まって、少しぼんやりした。店長の本当の気持ち、それはこの雑誌を見ているあなたの

姿で、私にはよく分かります。そうつぶやいた。

 人間の心って、簡単には割り切れない。離れていても続く絆ってある。

 店長が今の状況を打破したいと思っている、その気持ちがどれほど強いのか。それは、そればかり

は、実際聞いてみないと優妃には分からないが、少なくとも、桜木仁を‘まだ愛している’のではないか

ということは、いつか声に出して聞いてみたいことだった。

 「なんとかならないかなぁ」

 思わずそう、優妃はつぶやいた。

 

 その日家に帰って、優妃は重要な電話を2件受けた。

 まったくの寝耳に水の人物に内容だったので、深夜2時を過ぎても優妃は眠れないまま、ベッドに寝転

んでシーツを目の下まで被っていた。

 1件目は、大学時代の陸上部監督からだった。

 最近まで、優妃の母校Y大とは違う所の大学で監督をしていたが、今回また春からY大に戻るらしい。

 優妃に、陸上部のコーチとして来てくれないか、という申し出だった。

 「俺もなあ、やっぱり心機一転っていう気持ちがあるわけよ。で、けっこう燃えとる。Y大は、ここ何年かいい

記録を出す選手が少なくなってるからなあ。こんなときに、お前みたいに、陸上のことではツーカーな人間が

手助けしてくれたら、助かるんだがな」

 今の仕事のこともあるのでもう少し考えさせてください。そう答えて、優妃は電話を切った。

 もう1件は、さらに驚きの電話だった。

 雅也の母親からだった。

 

      

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送