<<< 喫茶店 毬藻 >>>

-適材適所・3-

 

 相変わらず、博多の駅は雑多だった。近代化の波に揉まれ、福岡、特にこの博多も発展を遂げて

来たけれど、東京という街を知っている優妃にはどこか猥雑で、雑多で、でも情のある表情をしたのが、

博多だった。

 耳に自然に入ってくる、方言。優妃は、地下鉄から地上に上がり、自然光の眩しさに目を細めた。

 飛行機で福岡空港まで降り立ち、それから地下鉄で博多駅まで来る。そしてそこから、バスで25分の

ところに優妃の実家はあった。

 「あった」、というのは、言葉通り過去形で、その優妃の実家である一軒家は他人に貸している。母親は、

教師と再婚し駅近くのマンションに住んでいる。

 優妃は、祝日を挟んだこの帰郷を、母親に連絡していなかった。

 あまり、母親と会いたくない。会わなくっても、きっと彼女は元気だろうし、顔を見せなくても何も思わない

はずだ。飲んだくれの父親と、臆病な母親と、私と、不良の弟。その家族ごっこは、もう随分と昔に、終わ

ったのだから。

 優妃は、西鉄電車に乗るために、乗り場へ向かった。

 

 ホームへの階段を昇るとき、11月の風が優妃の側を吹き抜けていった。

 「寒い」

 思わず口に出す。着ているコートのポケットに、優妃は手を突っ込んだ。

 電車に乗り込む。日曜日ということもあって、たくさんの人が乗っている。優妃はドア付近に立ち、バッグを

肩にかけなおして流れる街並みを見つめた。

 休日を挟んだこの週末に、2日休みが欲しい。そう行った優妃を、毬藻は何も言わず了承してくれた。

 本当だったら、休日は客足が平日の2倍近く伸びる。サービス業にとって、休日というのは稼ぎ時なのだ。

それは、重々わかっている。けれど優妃は、無理を承知で、頼んだ。

 「芽衣がね、今度の週末は、仕事で周らないんですって。だからお店を手伝ってくれるって言ってるから、

気にしないで」

 毬藻店長は、優妃が帰宅する時にそう言った。

 「本当に、すみません」

 優妃は、そう言うことしかできなかった。毬藻に芽衣。かなり迷惑をかけている。普段の優妃なら、決して

自分でも許されない行動だった。

 けれど今の優妃には、その許されない行動を遂行するしか、息をすることがでいないほど、心が泣いていた。

 

 

 街並みを眺めながら、優妃は赤野の顔を思い浮かべた。

 なぜあの時、私にキスをするのをやめたのだろう。なぜ‘ごめん’なんて、言ったのだろう。

 身体を元に戻した赤野の、複雑な顔を思い出した。同時に、優妃は心臓が縮まるほどのせつなさを感じた。

 彼女がいるの?

 私のことをそういう対象で見れないのだろうか?

 私が今まで冷たくあたってきたから、さして私のことが好きではないのだろうか?

 そんな質問、赤野にぶつければ解決するかもしれない。けれど、優妃は、赤野に質問する勇気のかけらも

なかった。

 「もし彼女がいるって言われたら・・・・・・?もし好きじゃないって言われたら・・・・・・?」

 思わず声に出して呟いた優妃を、側に座っていた中年の男性が一瞬見上げた。

 こんな子供みたいな感情。自分でも分かっている。それに、何となく、赤野には今付き合っている女性は

いない気がした。

 けれど、‘恋に臆病になっている自分’に甘えている自分、を、ひどく優妃は意識していた。

 

 祖母のカナは、何年かぶりに見た優妃を、昔と変わらない優しい顔で迎え入れた。迷わずやってきた、

カナのところ。団地の部屋。懐かしい匂いと空間が広がっていた。

 「おばあちゃん、全然変わっとらんやん、家の中」

 背伸びをしながら窓の外を見る優妃は、大きな声で台所にいるカナに声をかけた。

 「そうかね?私はずっとここにいてよく模様替えをするけんね。あんまりよく分からんっちゃん」

 「家の中もやけど、ここから見る団地の中庭もすごいよねえ。ここって、やっぱり高い」

 「そりゃあ13階やけあたりまえよ」

 幼い頃、よく類と遊びに来ていた。初めて電車に2人だけで乗ったのも、このカナの団地を訪れるため

だった。

 コーヒーを入れてカナが戻ってきた。テーブルの上にマグカップを置くカナを、優妃は見つめた。

 背中が丸くなっているような気がする。いつまでも気は若く町内の老人会会長も務めているので、

まだまだ優妃は安心していた。けれど、今久しぶりに見るカナは、一回り小さくなったように見えた。

 類のことを話し、彼がよこした手紙をカナに手渡す。お金は、あの夏にすぐカナに振り込んだ。

 「やっぱり、あの子は根っから悪い子じゃなかったとよ」

 満足そうに手紙を閉じ、仏壇に供えた。カナの夫、優妃の祖父は、20年ほど前に他界している。

 類のことについては、優妃は言いたいことが山ほどある。全額返しきっていないし、今まで行方をくらまして

心配をかけたことや、突然外国に行ってしまった無鉄砲さ。

 けれど、優妃はカナの前でその不満をぶつける気には、なれなかった。せめてカナといる空間では、類は

‘心の優しい小さい頃の類’のままでいるべきだと、思ったから。

 

 「あんたはどうね」

 しばらく日常のことなど、とりとめのないおしゃべりをしていた時に、ふとカナがそう言った。

 「どうって・・・・・・」

 言葉が出ない。

 「毎日、順調かね?」

 うん、順調よ。そう返したが、目はカナを真っ直ぐ見ることはできなかった。カナは、優妃をじっと見ていたが

コーヒーをすすると、誰にともなくこう言った。

 「人間には、適材適所があるけんね・・・・・・」

 「え?」

 「あんたも、自分の適材適所を、探すように心がけるんよ」

 自分の適材適所・・・・・・。優妃は呟いた。

 「そうやね、探すっちいうよりか、‘正視’する、かいな」

 カナはそうも言い、コーヒーのお代わりを入れに立ち上がった。

 自分の適材適所を、正視する・・・・・・。

 

 その日はカナの家に泊まった。

 お線香の香りがする座敷に布団を二つ並べ、優妃とカナは姉妹のようによくしゃべって笑った。

 カナの口から出る優妃も知らない昔話は、彼女の心に染みとおってまるで子守唄のように聞こえた。

 翌日は、夕方の便に間に合うように支度をした。

 来てよかった。優妃は、身体のおもしが少し軽くなったような気分なのは、カナのおかげだと思いながら

靴をはいた。

 「お金はもう返さんでよか」

 玄関口で、カナはきっぱりと言った。有無を言わさない口調。カナのこんな口調を聞くのは、初めてだった。

 優妃は、ただこっくりと頷いて、カナと握手をした。カナの目に、涙が浮かんでいる。優妃も、喉が苦しくなって

目が熱くなった。

 「また来るね。元気でね」

 「またおいで。その時は、あんたが適材適所におることを願っとうけん」

 

 博多駅につき、地下鉄に乗るために人ごみをぬった。地下に下りる階段を見つけたとき、遠くで自分の声

を呼ぶ声がした。

 「優妃!」

 きょろきょろと周りを見まわすと、母親が息せき切って駈けて来た。

 「お母さん」

 驚いて目の前の母を見る。ブルーのセーターに茶色いロングスカートをはいて、母親はすっかり上品な奥様

になっている。

 「なんで知らせてくれんとね!」

 泣いたような笑ったような怒ったような、そんな顔をして母親は優妃の肩をグラグラとゆすった。抵抗せずに

揺れに身をまかせた優妃は、母親の目尻に皺が増えたことをぼんやりと認めた。

 「ごめん」

 「母さんだって、あんたに会いたいとよ!おばあちゃんから、さっき連絡があって。間に合ってよかった」

 彼女の顔から怒りは消えて、満面の笑顔になって優妃をまじまじと見た。

 「少し元気がなさそうやね?どうしよるとね?食べよるね?」

 「うん、元気。お母さんも、幸せそう」

 「母さんは、変わらず元気よ。まったく、今度来る時は絶対母さんの所に来てよ?」

 「うん、分かった、そうする」

 気がつくと、優妃は泣いていた。目の前の母も、涙を流している。

 母親は手に持っていた紙袋を手渡した。福岡の食べ物を、とにかくあるだけ詰めたから、と言う。

 優妃にその紙袋を渡す時に、母親はしっかりと両手で優妃の手を包んだ。

 しっかり。しっかり生活するんよ。

 片手にズシリと袋の重みを感じながら、優妃は何度も頷いた。

 階段を降りる時に振りかえると、母はずっと手を振っていた。

 

       

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送