<<< 喫茶店 毬藻 >>>
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「おはようございます」
「おはよう」
喫茶店毬藻のいつも朝。毬藻店長は、カウンターの中で料理の下ごしらえをしている。
寒いですネエ、と他愛ない話をしながら、優妃はエプロンをつけテーブルを拭いて回る。
「何かいいことがあったの?」
突然毬藻店長からそう言われ、優妃は突っ立ったままきょとんとした。
「いいことですか・・・・・・?」
優妃は少し頬を赤くして、下を向いた。赤野の大きな手が、自分の顎を触る仕草を思いだし、さらに
顔を赤くした。
「いいのよ言わなくて。いいのよ」
そう言って、毬藻は吹き出した。毬藻店長にさえ見抜かれるんだったら、芽衣なんか一発で気付く。
優妃は苦笑いをしながら、昨日の自分は、気持ちを整理しながら赤野を人ごみの中待っていたんだな、
そして今朝は、その赤野とたったさっきまでキスを交わしていたんだな、と身体が宙にフワリと浮くような
不思議な感覚に包まれた。
首筋に、赤野の唇の感触が今でも残っている。首筋だけではない、顔、唇、腕、鎖骨、胸、ふくらはぎ・・・・・・
体の全ての部分に残る赤野の抱擁を、その日仕事をしながら気がつくと、ぼんやりと思い出す自分に
気がついた。
‘愛する’ことの心地よさは、優妃も今までの人生で知っていた。けれど‘愛される’ことの、心と体の快感
がこれほど深いとは、彼女にとって思いも寄らないほどの衝撃だったのだ。
バイトの時間も終わりに近づき、優妃は挨拶をして喫茶店を後にした。
今日は寒いのもあったし、優妃は歩きたい気分だったので自転車に乗らず徒歩で来た。買い物でも
して帰ろうかな。赤野さん、どうしてるかな。
ふとそう思ったとき、見覚えのある黒い車がスッと寄ってきた。赤野だった。
車に乗りこんで、優妃は驚きながら聞いた。
「どうしたんですか?お仕事、早いんですね」
赤野は、今日の明け方、ライトの薄明かりの中で優妃が見た顔とは少し違う仕事の顔を残したまま、
それでも優妃を見て微笑んだ。
「速攻」
「え?」
「速攻会社を飛び出した。残った仕事は部下に押し付けて」
「赤野さん・・・・・・」
広い道に出て、楽しげにハンドルをくりながら、赤野はいたずらっぽく続けた。
「来週から、またひどく忙しくなるんだ。今日は金曜日だろ?今日と明日とあさってぐらい、許されるかな」
「・・・・・・誰が、何を許すんです?」
優妃はわざと聞く。赤野の顔が、仕事の顔からだんだんと昨夜の顔に戻っていっていることが、優妃を
安心させていた。
その優妃の問いには答えずに、赤野は静かに言った。
「あなたを3日間、軟禁する」
「はい?」
信号待ちで車を止めた赤野は、ニヤっと笑って優妃を見た。そして、同じことを言う。
「今から俺に誘拐されるよ」
優妃はそっと、赤野の左手に手を伸ばした。こんなこと、厚かましいかも、と思いながらも、彼女の本能が
そうさせた。赤野は前を向いたまま、しっかりとその優妃の手を握った。
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