<<< 喫茶店 毬藻 >>>

 

−フデバコ・1−

 

 「アルバイト募集・・・・・・。年齢19歳から40歳まで、時間帯午前8時から午後5時まで。時給900円。

長期できる方歓迎、か。」

 たいして良くもなく悪くもなく、実際アルバイトをしていたのは数年前の学生時代だったから、この

条件がバイト界的にいかがなものなのか、今の優妃には皆目見当がつかなかった。

 古風だが、清潔な店の構え。その喫茶店、毬藻の窓ガラスに、小さく手書きで貼ってある募集の紙。

しばらく立ち止まって、優妃は眺めていた。

 「それ以前に、毬藻って。」

 気がつくと、また独り言をつぶやく。

 しかしここで、彼女はハッとした。店の名前でバイト先を選んでいるような、贅沢なことは今の自分に

はできないのだ。

 とにかく、私はお金がいる。どうしても、お金がいる。いつまでも仕事をしないままでは、だめなのだ。

 何気なしに下を見ると、水色の小さな花をつけたかわいらしい観葉植物が(植物にまったく興味のな

い優妃には、何の花か分からなかった)プランターにいくつも育っていた。世話が行き届いているよう

だ。

 きっと、この店の人が育てているに違いない。花を愛する人は心清き人だ。そうに決まっている。

 優妃は覚悟を決めて、喫茶店の扉を開いた。

 

 「いらっしゃいませ。」

 「ゆーいちゃん。おはよう」

 朝一番のお客さんは、この黄色いパーカーをいつも着ている中年の男、才田と決まっている。

 「いつものね」

 と、彼はいつもの窓際奥の席に座りながら、優妃に大きな声をかけた。

 「店長、アメリカンとトーストセットです。」

 優妃も手馴れた調子で、才田の定番をカウンターの中に告げる。ニコリと笑って、毬藻店長がうなず

いた。

 「お待たせしました。」

 湯気がたつコーヒーと、トースト、スクランブルエッグ、ツナサラダをテーブルにのせる。

 読んでいたスポーツ新聞を脇に置き、才田は両手を揉み合わせた。

 「今朝は寒いですね、もう春だというのに。」

 優妃がエプロンのポケットに両手を入れて、話しかけた。

 「ほんとにね。こういう日は俺んとこ、お客さんの入りが悪いから、気分も落ち込むね。」

才田はたいして落ち込んでもいないような顔をして、サラダにドレッシングをかけている。

 「あら、でも予約制じゃないんですか、才田さんのところ。」

 優妃は、喫茶店の真向かいにある才田経営の美容院の方へチラリと視線をやって答えた。才田が今

座っている席に面した大きな道路、これを挟んで、真向かいに彼の美容院がよく見えるのだ。

 「そうなんだけどさ、お客さんは気まぐれでね。天候って大きいよ。すぐ売上に影響するから」

 ふうん、大変ですねと言う優妃に、ヒトゴトだと思ってー、優妃ちゃんところも客足影響するでしょ、と

才田が返す。毎朝この才田と他愛のない掛け合いをするのが、ここのところ彼女の朝の仕事でもあった。

 優妃がこの喫茶店・毬藻にアルバイトに来始めて、もう3ヶ月近くがたとうとしていた。仕事の内容は、

昔やっていたアルバイトも飲食店だったためさして抵抗はなく、また24歳という彼女の若さも手伝ってか

ほぼ問題なくこなせるようになった。

 それよりも何よりも、店長の名前が本当に毬藻だったという事実に、優妃は今でも衝撃を受けている。

しかも、38歳の美しい女性。

 

 「私が店主の桜木毬藻です。」

 「?」

 しまった、と思った時はすでに遅かった。募集の張り紙を見て店内に入り、面接のようなものを行った時

に店長が放ったこの第一声。

 まりも?この名前、マジだったの?私の目の前にいる、はかないほど美しい人が、まりも?

 虚をつかれたように目が点になった優妃は、桜木毬藻が苦笑いをしているのを見て即座に謝った。

 「す、すみません」

 「いいんですよ。初めて私の名前を聞いて、今のような表情をなさらない方は、今まで一度もいないんで

すから。開き直って、店の名前にしちゃうぐらいだから、気にしないで。」

 そう言って笑った毬藻店長の顔は、夕刻の西日も当たって女優のように幻想的だった。美しかった。

 それ以来、毬藻店長、と気軽に声をかけているが、やはりこの名前と彼女の顔とではミスマッチだと今で

も優妃は残念に思っている。

       

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送