<<< 喫茶店 毬藻 >>>

-飛行機・4−

 

 9月になった。暑さもピークを過ぎたが、まだ残暑が所どころ残る日々。喫茶店毬藻は、涼みに来た

お客さんで今日も繁盛していた。

 「お待たせいたしました」

 アイスコーヒーとチョコレートパフェを女性の2人連れに運んだ優妃は、そのうちの一人の手元に雑誌が

あるのに気がついた。「アートノイズ」の10月号だった。

 読者がいるのね、と優妃は意外に思うと同時に、この夏は赤野に始まって赤野に終わってるな、と不安

な気持ちになった。毬藻店長も芽衣も、事あるごとに赤野の名前を出す。けれど、優妃にしてみればもう

赤野との‘件’は終ったことで、今更接点もなにもない2人をどうしようというのだ、と(特に芽衣に対して)

思うのだった。だいたい、芽衣の期待しているような展開には、どう考えてもならない。赤野に彼女が

いない、ということ自体、考えられないからだ。それに私の気持ち的にも、考えられない、とつぶやいた。

 「お先に失礼しまーす」

 帰りかけた優妃に、毬藻店長が声をかけた。

 「優妃ちゃん、大丈夫なの?」

 優妃はドアに手をかけたまま、立ち止まった。

 「え?なぜですか?大丈夫ですよ」

 「元気?」

 「はい、元気ですよ」

 毬藻店長は、泣き笑いのような複雑な微笑をして、優妃を見送った。家への道すがら、優妃は店長がなぜ

あんなことを言ったのか不審に思いながら、自転車をこいだ。夕方の風が心地よい。

 帰りついて、ポストを開けると、少し厚めの封筒が入っていた。ゴツゴツとしたものが入っているようだ。

 差出人の名前はない。けれど、宛名の字を見て、優妃は凍りついたようにその場に立ちすくんだ。

 

 1週間後、優妃は赤野の住むマンションのエレベーター前にいた。前に隠れ家のようなギャラリーに一緒に

行った時、赤野の住む場所を聞いたのをおぼろげながら覚えていた。

 その記憶をたぐりながら、優妃は思ったより自分の住むビルよりそう遠くないところにあったことを知った。

徒歩でも、15分くらいの距離。

 優妃は腕時計を見た。時刻は、午前10時半。

 チャイムを鳴らす。今日いるかいないか分からない。でも、いそうな気がした。日曜日は、基本的に休みだと

以前聞いたからだ。

 もう一回鳴らす。すると、部屋の中から物音がした。優妃は、今更ながら足がすくむかと思うような恐怖に近い

感覚に捕らわれた。帰るなら今だ。けれど、足が動かない。彼女が出たらどうしよう。

 ドアが開き、眠そうな顔の赤野が驚いてそこに突っ立っていた。

 

 「すみません」

 部屋の中に案内され、優妃は顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。雅也の部屋に入るのとは勝手が違う。

 膝が破れたジーンズに白いシャツの赤野は、すこし乱れた髪の毛のまま優妃をソファに座るようにすすめた。

 まだ何事が起こったのか理解できず、現状をつかめないようだった。

 自分は床にあぐらをかいて、ソファの優妃をじっと見上げた。開いたカーテンから入る残暑の日差しが赤野の

顔を照らし、目がいっそう茶色に見えた。開いた窓から、風がそよいでいる。

 シンプルで、あまり物のない部屋だった。壁面にはたくさんの写真が無造作に貼られている。

 赤野は、手を顎に持っていって、しばらく無意味に顔を触っていた。

 「すみません、お休みのところ」

 優妃は下を向いて、唇をかんだ。1週間悩んだ挙句、結局赤野の顔しか思い浮かばなかった自分を信じられ

ない思いで今はいっぱいだった。

 「しばらくぶりだね。この前会ってどのくらいになるんだっけ」

 寝起きのために、少しぼうっとして口調もいつもと違うようだ。優妃の心の奥で、何か小さいものがズキンとした。

 「1ヶ月以上たってるかも」

 「信じられない。この1ヶ月の記憶がほとんどないよ」

 「お忙しいんですか」

 「うん」

 優妃は、小花プリントのスカート生地をちょっと握った。言うなら今しかない。

 「赤野さん、あなた、私がなぜ陸上を辞めたのか、そう言いましたよね」

 突然毅然とした言葉が、優妃の口から出た。赤野まで目が覚めたような顔をし、みるみるいつもの眼の光が

戻ってきた。

 「ええ。そう言いました」

 「その理由を、なぜあなたは知りたがっているんですか?あなたにとって、何か意義があるんですか?」

 我ながらまたキツイ調子になってしまったと、優妃は少し後悔した。赤野はしばらく目線を優妃から外していたが、

 「あるんだ」

 とだけ、つぶやいた。優妃は次の言葉を、勇気を振り絞って、しかし何かの力に後押しされるように言った。

 「では・・・・・・お願いがあります。その答えを言いますので、私を空港まで連れて行ってください」

 

     

 

 

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