<<< 喫茶店 毬藻 >>>

-飛行機・3−

 

 夕方になり、昼間の猛暑が少し和らいだ。車は優妃のマンションの前に止まった。

 降りた優妃は、礼を言おうと運転席側にまわる。窓を開けて、赤野はサングラスを鼻の方へ少しずら

した。

 「今日はありがとうございました」

 「いや」

 「・・・・・・」

 沈黙が続いたので、優妃は頭を下げた。じゃあ、また、と、赤野はサングラスをかけなおし、車を発進

させた。

 部屋に帰り、先にシャワーを浴びた。さっぱりして冷蔵庫から冷えたオレンジをとりだし、食べる。

 今日は、不思議な1日だったと優妃は思う。

 山あいの、隠れ家風のギャラリー兼洋食店へ優妃を連れて行った赤野は、始終穏やかだった。

とても趣味がよくかわいい和風の焼き物や小物を置いているギャラリーで、そういった雑貨を見る事が

好きな優妃は時間を忘れて見入った。

 同じ店主が経営する洋食屋は、こじんまりとして落ち着いた佇まいで、隣りのギャラリーに置いてある

器を使っていた。

 向き合って、普通にランチを食べる自分と赤野を、優妃はその時も今も、現実ではないような気持ちだ

った。

 「この前、仕事をつき合わせて結局食事をご馳走できなかったから。今日はそのお詫びなんだ」

 食後に運ばれてきたコーヒーのカップもまた和で素敵だったので手に持って眺めていた優妃は、赤野

がそう切り出したのでゆっくりとカップを置いた。

 「私の方こそ、すみません」

 「気にしなくていいよ、そのことは。俺も悪かったから」

 そして、‘短距離走をなぜ辞めたんだ’、とくるな。そう思った優妃は、密かに身構えた。けれど、赤野は、

そのことには一言も触れなかった。

 「写真に興味ある?」

 「え?はい、けっこう・・・・・・」

 「そう。半年前、取材でオーストラリアに行った時に・・・・・・」

 赤野は、‘アートノイズ’での自分の仕事や、過去行ったことのある国でのシャッターチャンスの話しなどを、

静かに楽しげな顔をして優妃に語った。肩透かしを食った形の優妃は、今日は鋭く光らない赤野の茶色い

目を黙って見ていた。

 

 「優妃ちゃん、待った?」

 定休日の日、優妃は喫茶店毬藻のドアの前で芽衣を待っていた。午前中というのに、暑さはすでに体を

じりじりと熱していた。芽衣は赤い軽自動車を猛スピードで道路脇に止め、中から声をかけた。

 「ごめんね、道が混んでて。今日は無理に誘ったかな?」

 「いえ、休みの日って、何もすることがないし。私芽衣さんがお仕事する姿、興味があったんです」

 ハハハ、と芽衣が大きく口をあけて、助手席に優妃が乗ったのを確かめてスピードを上げた。

 芽衣は下着の販売員をしているが、今日はとある主婦の家で下着の試着会をする予定だった。けれど、

主婦が声をかけていた友人が全てキャンセルをしてきたために、その主婦も今日はやめたいと言い出した。

 そこで、もう一人若いメイトさんを連れていくから、お一人じゃありませんから安心してください、彼女もまだ

うちの下着は初心者なんですよ、一緒に試着してみられませんか?というアピールトーク炸裂で、どうやら

今日の日の予定を取ったらしい。

 優妃は、いわゆる半分サクラでその主婦宅に行くわけだ。けれど、芽衣の頼みだったし、何となくおもしろ

そうでもあった。

 高級マンションの一室で、その主婦からお茶やお菓子などを出され、優妃は意外と楽しんだ。

 何より、芽衣の商売の上手さに、脱帽した。その相手の主婦の好みを瞬時に頭のメモに叩き込んだようで、

サンプルバッグから出すもの出すもの、主婦は「まあ素敵」と眼を輝かせた。

 下着をつけさせるときも(実際優妃も補正ブラジャーを体験した)、テキパキと嫌味なく、職人のように事を

運び、ああ言えばこう言う主婦の一歩前を先回りし‘そつ’がなかった。

 結局、その主婦はたくさんの下着を購入し、来月の予約まで芽衣は取りつけてその場を後にした。

 

 「芽衣さんって、すごい」

 マンションの駐車場まで歩いていく時に、優妃は本心からそう言った。え?と明るく聞き返した芽衣は、夏でも

きちんと着た薄手のスーツから細い足を出して、元気よく歩いた。

 「そんなことないよ。ただ、向いてるなって、思うだけ。頑張ったら頑張った分だけ、自分の血や肉になる仕事

だからね。人付き合いのいい勉強になるのよ」

 「私は、そんな自分に向いてるって仕事、今まで見つけたことがないです」

 苦笑いしながら、自分を卑下した。それは本当のことでもあった。陸上にかまけていた学生時代。大学を卒業

しいったん企業に就職するも、その企業は優妃が入社して半年で倒産した。

 自分って、いったい何をしたいんだろう、この先仕事として。

 「そうねえ。毬藻のところで一生働くってわけにはいかないものね、優妃ちゃんには将来があるから。何がした

いって、夢あるの?」

 車に乗りこんで、エンジンをかける。ゴォっと、クーラーの風が吹き出してきた。優妃は少し考え込んだ。そして、

頭を振る。

 「いいえ、何も考え付きません・・・・・・」

 そう。と微笑んで、芽衣は少し優妃のほうを向いた。

 「これからよ。これから」

 そう威勢良よく言い、ああそう!と気がついたように手を叩いた。後ろの座席に置いていた箱を取って、優妃

に渡す。

 「はい、これあげる。今日付き合ってくれたお礼」

 開けると、レースがふんだんに使われた豪華なスリップが一枚入っていた。しかも色は黒。

 「ええ、いいんですか?もらって。すごい、こんなの私持ってないです」

 「セクシーでしょ。赤野さんのタイプかな、と思って」

 「は?」

 「え、だから、それだと赤野さん喜ぶでしょ。私ってば、男性の下着の好みまで一目で見抜くのよね、最近」

 赤野とは付き合っていないと説明しても、芽衣は信じなかった。好きでもないし、むしろ警戒している、とまで

説明した。

 「そうなの?でも一緒に出かけたりしてるんでしょ?」

 悪気はない芽衣の質問に、優妃が言葉を詰まらせた。確かに、それは事実だ。けれど、デートなんてもの

ではない。2人とも多くを語らず、優妃にいたっては気を張り詰めているのだから。

 「まあ、見てて。私の勘はよく当たるんだから。あなたたち2人は、きっとそうなる」

 普段の芽衣が超能力者のように物事を当てるために、そんなことを言われると優妃は背筋がゾクっとした。

違うんですってばー、といくら言っても、すでに芽衣は聞く耳持たずで鼻歌交じりに運転するだけだった。

     

 

 

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