<<< 喫茶店 毬藻 >>>

 

-コーヒー豆・5-

 

 「息子に聞かれて困っています。お父さんは死んだってお母さん言ったけど、嘘なの?って。それでも

嘘をつきとおす自分のことも情けなく感じています」

 毬藻店長の静かな訴えが、店内に響いた。真中は店長と目線を合わさず、かえって真中の後ろに立って

いる赤野の方がまっすぐ店長の顔を見ていた。

 「今朝も何件か、問い合わせの電話がありました。夫はここにはいない、と断りましたが・・・・・・」

 ‘ただ今準備中’という札を見て、残念そうに帰っていく学生のグループが優妃の目に入った。お昼時の

一番お客さんが入る時間帯にこうやってシャットアウトすることの重大さを、この2人は分かっているのだろう

か。奥のテーブルには芽衣が、こめかみに手を当てて目をつむったままでいる。

 「私が一番哀しいのは、まだ小学校1年生の息子をつかまえて話しを聞き、それを記事にしたということ。

こんなやり方、卑怯です」

 優妃はカウンターの脇に立って、毬藻店長の顔を見た。蒼白になっている白い顔が、痛々しい。静かな

語り口調だけに、人の心にズシリと重く訴える何かがあった。

 「申し訳ありませんでした」

 赤野副編集長が、頭を下げた。この前の印象から、人に頭を下げるような人ではないと思えたが、目の前の

赤野は優妃と同様毬藻店長の気持ちがストレートに響いたらしく、悲痛な声だった。

 けれど、真中はまだ1度も頭を下げていない。持ってきた菓子折りを形だけの態度で差し出すと、そのまま

赤野に全てをまかせたようなふうを装っている。優妃の気持ちは、怒りを通り越して暗く沈んでしまいそうだった。

長い髪を後ろで結んで、化粧もナチュラルに押さえ流行りのスーツを着ているが、優妃にはその謙虚さのかけ

らもない態度から真中が50代ぐらいの歳をとった、しかも醜婆に見えた。

 その時、奥に座っていた芽衣が音を立ててツカツカと歩み寄ってきた。そして、真中の真正面に立ちはだ

かった。

 「それが人に謝る態度なの」

 思わず、優妃は息を飲む。

 「本当なら、あなたの後ろの副編集長なんかじゃなくて新渚社の社長ぐらいに謝りに来てもらいたい心境よ、

こっちとしては」

 真中は、身じろぎもせずぐっと芽衣を睨んだ。

 「私はね、この毬藻とは小学生の頃から親しい間柄だけど、この子はいっつも、ついていない子だった。運のな

い子だった。桜木仁が、毬藻にどんなひどい仕打ちをしたか、あなたたちは知らないでしょう?妊娠した妻を捨て

て、自分勝手にどこかへ行ってしまったのよ?何の相談もなく!」

 芽衣の両目から涙が流れた。毬藻店長は、ただ下をうつむいていた。

 「毬藻が両方の親族から攻められて、苦しい中で一人で産んだいっくんと、今はただ静かに生活しているだけ

じゃない。そのやっと訪れた平穏を乱すことは、あなたにはできないはずよ。普通の人間だったらできない」

 ふと優妃は視線を上げて赤野を見た。彼は唇をかみ締めて目をふせていた。ぐっと握った両こぶしが目に入

る。部下のとった軽はずみな行動が与えた人への傷に対して、彼は彼なりに耐えている、悔しがっていることが

優妃にははっきりと分かった。

 

 次の瞬間、何も言わない真中をじっと見つめた芽衣が、目にも止らぬ早さでコーヒー豆の入っているケースに

手を伸ばした。

 誰もがあっと息を飲んだ次の瞬間、芽衣は思いきり真中に向けてコーヒー豆を投げつけた。

 パラパラと音を立てて、無防備だった真中の体にコーヒー豆が散らばった。彼女は呆然として芽衣を見ている。

 「出ていきなさいよ。2度と、この親子にかかわらないで。」

 

      

 

 

 

 

 

 

 

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