<<< 喫茶店 毬藻 >>>

 

-コーヒー豆・6-

 

 赤野が店にやってきたのは、それから1ヶ月ほど過ぎた頃だった。

 ドアを開けて、背の高い体を少しかがめて入ってきた。その時店内には、毬藻店長と優妃しかいなかった。

 「先日は・・・・・・ご迷惑をおかけしました」

 真摯な態度で頭を下げた。黒めのスーツに、水色のシャツを着ていた。

 「・・・・・・いえ、分かっていただければ・・・・・・」

 「少しお時間をいただけますか」

 毬藻店長は、優妃にドアへ準備中の札をかけ、コーヒーを一杯窓際の席へ持って来るように言った。

 コーヒーを赤野の前へ置き、その向かいに毬藻店長が座った。優妃はカウンターの側へ、立っている。

 「これをご覧いただきたいと思いまして」

 赤野が口を開き差し出したのは、「アートノイズ」7月号だった。

 「来週発売される予定の、今月号です。その中に、先月のお詫びと訂正を載せさせていただいております」

 しばらくじっと、目の前に差し出された雑誌を見つめていた店長は細い手でページを開いた。印がついて

いるページを読んでいる。優妃には少し遠くて内容は分からなかった。

 「・・・・・・了解いたしました。訂正いただいても、今でも時々かかってくる桜木仁のことを尋ねる電話や来訪者

はしばらく途絶えないと思います。けれど、けじめとして訂正していただいたことに、お礼を申し上げます」

 毬藻店長は細いがしっかりした声でそう言った。

 

 立ちあがって帰ろうとする赤野に、店長は声をかけた。

 「真中さんはどうしていますか」

 「・・・・・・」

 ドアに手をかけたまま振り向いて、赤野は答えた。

 「彼女には、他の編集部へ移ってもらいました」

 では、と黙礼して出ていこうとする赤野が、急に驚いたようにまた振り返ったのは、毬藻店長が奥のテーブルを

ふいていた優妃の名前を呼んだ時だった。

 その彼の驚いた動作に、優妃も毬藻店長も不思議に思い赤野を見上げた。沈黙が流れる。

 けれど、赤野ははっと目が覚めたような顔をして気まずそうに微笑んだ。

 そしてまた黙礼をし、店を出ていった。

 優妃はなぜ彼があんなに驚いて自分を見たのか、その理由が分からなかった。とまどっている優妃に向かって、

毬藻店長がさばさばした声で言った。

 「何か勘違いしたのかしらね・・・・・・?とにかくも、この件はこれで終わり!もう忘れましょう。」

 優妃もそうですね、と頷きながらふきんをカウンターに置いた。毬藻店長が、明るい顔で優妃に言う。

 「それにしても、今回相手が謝罪と訂正をしてきたのは、優妃ちゃんのおかげね。あんな大きい出版社に一人で

乗りこんだなんて、勇気があったのね」

 「ええ、怖くなかったって言えば嘘ですけど。でもそれ以上に、店長といっくんを守りたかったんです」

 「・・・・・・ありがとう」

 ポン、と店長に肩をたたかれ、優妃はにっこり微笑んだ。

 そしてドアを開け、準備中の表示を裏返した。 

 赤野の最後の仕草が気にはなったが、外の陽気があまりに素晴らしかったので「アートノイズ」のことも、赤野の

ことも全て、店長の言うとおり忘れることにした。

 ‘ただ今営業中’そう書かれたアルミのシンプルなボードが裏返した拍子に揺れ、初夏の日差しに反射した。

キラッと光ったその眩しさに、優妃は気持ちがすがすがしくなっていくのを感じながら目を閉じた。

                                                  −コーヒー豆・おわりー

 

    


Background photo by  RainRain

Copyright  kue All rights reserved.
Never reproduce or republicate without written permission.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送