+++ 普通電車に飛び乗って +++

 

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 鉄道博物館に‘日曜日の開館時間’がやって来た。

 私は博物館の入り口にほかの職員と立ち、入館する人々を笑顔と会釈で出迎える。

 今日も、朝一番から人であふれている。それもそのはず、日曜日には何かしら

館内で鉄道のイベントがあり、今日は先着100名さまに「特製 忘れじのSL・

メモリアルポスター&切符」の無料配布があるおかげで、開館前から列を作って

並ぶほどだった。

 「おはようございます、いらっしゃいませ」

 私は笑顔で声をかけながら、この仕事に就いて6年目だけれどしみじみと、

鉄道ファン人口の多さを考える。そしてそのファンは3種類あることを、私は自信を

持って断言できる。

 1つは、小さい子供を連れた親子連れ。その子供はたいてい男の子であることが

多く、父親母親を巻き込んでこの博物館の常連となる親子連れも多い。

 2つ目は、ちょっと詳しい小中学生の男の子。まだ幼い分鉄道への情熱がストレートに

感じられて見ていてほほえましい。そして皆、意外と専門用語に詳しかったりする。

 3つ目は、言わずと知れたいわゆる鉄道マニアの方たち。肩には高価そうなビデオカメラ

を下げ、三脚は必須アイテム、手には自分の貴重な資料が入ったバッグ。この博物館

には、入り口の入場券売り場の横に、歴代活躍した5台の車両が並ぶ屋外展示場が

あるのだけれど、入場券を買う前にその車両の姿を遠くから撮影していたら、まずマニア

と思って間違いない。

 この3種類の方々と、あとは、少数派だけれど、ちょっと変わったデートをしようという

若いカップル。

 ざっとこれぐらいかな、と私は思う。

 「すみません、このSLグッズの無料配布って、どこに行けばいいんですか?」

 「はい、こちらです、ご案内いたします」

 先ほどの3つ目の種類の男性が尋ねてきた。私はニコリと笑って彼を案内しながら、入り口の

雑踏から遠ざかった。

 

 「今日も、プロの方多かったですね」

 怒涛の午前中を終え昼食をとりに控え室に行くと、後輩の一人が背伸びをしながら私に言う。

 「そうね、限定配布があったからね」

 私は今朝、駅ビルのパン屋で買ってきたサンドイッチが入った紙袋を広い机に置くと、椅子に

座る。

 今日は朝からずっと立ちっぱなし。ヒールの高いパンプスに押し込められた足をさすった。

 「セミプロも多かったよ。私毎日思うけど、ほんとみんな鉄道が好きよね」

 もう一人、窓口で入場券を販売している後輩も後に続く。彼女たちは、マニアの方々をプロ、

まだそこまでいっていないけれど結構な常連さんをセミプロ、そして誰かに付き合わされて

初めてやってきたような人々をノーマルさん、と言う。窓口にいる彼女たちの隠語とでも

言おうか(でも私に言わせるとばればれだと思うのだが)、彼女たちなりに失礼にならない

ようにお客さんへの愛称をつけている感覚なのだ。

 「まあ、その方々あってのこの博物館だからね。お客様は、誰もが神様、神様」

 私は、彼女たちがあの言葉を使うと必ずこういう正論を先輩らしく言う。はーい、そうですね、

と彼女たちは素直に言ってくれるのだが、私自身、時々頭の中で「プロ、セミプロ、ノーマルさん」

と使ってしまうのでそう偉そうにはできない。

 「徳間さん、午前中忙しかったでしょう?」

 ミルクコーヒーのパックにストローをさしていると1人がこう尋ねてきた。

 「ちょっとね。事務所に入る時間がなかったぐらい」

 「ずっと館内ですか?」

 「うん、そう。フロア係りの崎山さん1人じゃ手に負えなくって。それほど人が多かったな」

 「だって徳間さん、お客さんが声かけやすいんだもん」

 そうそう、と目の前に座る窓口3人組の後輩がそろって頷く。私はサンドイッチをほおばる。

 「それいい意味で?」

 「もちろんですよ。徳間さんがフロアに立ってると、その立ち居振る舞いが美しいから、

‘ものを尋ねるならこの人’ってきっと誰もが思うはずです」

 「褒められてるのなかあ。それとも貫禄あるってこと?」

 「なんていうかなあ、余裕の笑顔が、きっとお客さんを安心させるんですよね」

 そうそう、と、また3人は頷く。

 「私たち窓口でいろんなお客さんと接してると、どうしても笑顔が凍りつくっていうか、あまり

余裕がないときがあるんですよね・・・・・・、徳間さんはすごいですよ」

 「・・・・・・あなたたち、もしかしてこのベーグル狙ってる?」

 私は、このパン屋名物で、一日限定30個販売のブルーベリーベーグルをさっと大袈裟に隠す。

笑いが広がった。

 きっと彼女たちも、午前中の疲れから饒舌になっているのだろう、と思う。

 そして、私はたいしてすごくともないんだけどなあ、ただの事務所の広報の1人なんだけど

なあ、とも。

 私は残りのサンドイッチを口に運んだ。

 

 午後の勤務が始まった。私はざっと、1階のフロア、2階のフロアをまわって、それから

1階の「鉄道カフェ」の隣に位置している博物館事務所に向かった。

 「お、徳間君、お疲れ様」

 「お疲れ様です」

 事務所では、力山支配人が自分の席で新聞を読んでいるところだった。事務所内に、

支配人が煎れたであろうコーヒーのいい香りが立ち込めている。

 「今日も大入り満員だね」

 「そうですね、本当に。日曜日は、多いですよ」

 「まあまあ、座って一休みしなさい」

 「大丈夫です、お昼の休憩、きちんと取りましたから」

 私はクスリと笑って、支配人の心遣いに頭を下げた。この事務所では、支配人と、経理の

高田さん(経理は基本的に日曜日はお休みである)と、広報の私が常に在席する。

 けれど、私は事務所詰め、というより館全体を把握して何かあれば対応するナンデモ係り

のようなものだ、と、支配人からも任命されているので、彼はこうやって何かと私をねぎらって

くれる。

 「君が帰ってきてくれてよかった、ちょっと今から会議に出るのでね、2,3時間事務所を

空けるよ」

 「いってらっしゃい」

 支配人が部屋を出て行った後、私は一息ついて雑務を片付けるためにデスクに座った。

 

 ドンドン、と事務所のドアをたたく音で、パソコンの画面に集中していた私はハッと我に返る。

顔を上げると、ドアに続くガラス窓から、女性が不安げな顔で私を見ている。

 「どうされましたか?」

 ドアを開けると、その女性は顔を真っ赤にして、ほとんど涙目で肩で息をしている。何があった

のだろう?

 「すみません、うちの子供が、パノラマを触ってしまって、一部壊れたんです」

 見ると、女性の足元に2歳ぐらいだろうか、幼い男の子が、これも涙目で突っ立っていた。

 彼女たちと一緒に、1階のガラス張り大パノラマ鉄道模型のそばを通り抜け、原寸大客車の

そばを走り、階段を上った。2階の常設展示場を過ぎ、その行き止まりに、1階のものより

ひとまわり規模の小さな鉄道模型のパノラマが展示してある。

 Nゲージの電車の数々が、機械の操作によって次々に動き出す、人気の展示物だ。

 触らないように、パノラマの周りにロープで‘立ち入り禁止’としているものの、手を伸ばせば

誰でも手が届きそうな作りだ。

 すでに、壊れた、と思われる箇所に4,5人の人だかりができていた。

 これなんです、と母親が指差したのは、鉄橋の模型だ。真ん中から折れている、ように見えた。

 「お子さんにお怪我はありませんでしたか?」

 「うちの子は大丈夫です、本当にすみません。弁償しますので、言ってください」

 母親は、こちらが気の毒になるほど恐縮して頭を下げた。私はなんだか逆に申し訳なくなって、

胸がいっぱいになってしまう。

 「これぐらいでしたら、修理でなんとかなると思います。気になさらないでください」

 と言いながら、私の頭の中に技術の吉住さんの顔が浮かんだが、次の瞬間、彼は今日は

お休みだったことを思い出し顔が蒼ざめた。

 しきりと頭を下げながら親子が去ると、見物人たちもバラバラとその場から去っていった。

 私はしゃがんで、鉄橋の高さに目を合わせ壊れ具合を見た。

 困った、今日はこのまま‘故障中’とでも張り紙を貼ろうか?でもなんとなくみっともない・・・・・・

 と、その時私の背後からぬっと手が伸びてきて、カチカチカチ、と鉄橋を素早い速さで触ると、

鉄橋はあっという間に元のとおりに繋がった。

 私は魔法を見てしまったかのように驚き振り返る。そこには、男性が立っていた。

 「大丈夫ですよ、これは壊れたんじゃなくて、ちょっと崩れた、だけですよ」

 私は思わず呆然としてしまった。本当に、魔法を見た思いがしたからだ。そして慌てて頭を

下げた。

 「申し訳ありません、助かりました。ありがとうございます」

 いや、と男性は照れたように笑った。その笑顔と同時に、今度はすぐ隣にあるパソコンコーナーから

声が聞こえた。

 「あの、すみません、パソコンが壊れたみたいなんですけど」

 情報室、と名づけた、この地域の鉄道の資料などの書籍類やパソコンを使って鉄道の歴史を

学べるコーナーがある部屋に、私は急いで駆けつけた。

 小学生ぐらいの男の子数人が、パソコンを覗き込んでいる。

 「画面が全然動かないんです」

 1人の男の子が、慌てて言う。私は自分の詳しくない知能を総動員して扱ってみたが、どうにも

画面はフリーズしたままだ。

 ああ、こんなとき本当に、技術の吉住さんがいてくれたら。彼はどんな故障も、いとも簡単に

修理してくれる頼もしいおじさんなのだ。私は背後に小学生たちの視線を感じ、思わず手のひらに

じっとりと汗が滲むのを感じる。

 その時、また大きい手が伸びてきた。片手で、ちょいちょい、と、私にはどのキーをどう押した

のか分からないぐらいの早業で、気がつくとシャットダウンの画面になっていた。

 「再起動にしたから、次、立ち上がったときは多分大丈夫だと思いますよ」

 振り返ると、やはり先どほの彼がニコリと笑っていた。小学生たちが、おお、と歓声を上げる。

そして彼の言うとおり、無事再起動したパソコンは何の問題もなく動き出した。

 活気付いた情報室を出て、私はその男性と向かい合った。

 「2度も助けていただいて・・・・・・本当にありがとうございました」

 「いえ気にしないでください。よかったですね」

 また微笑んで、恥ずかしそうにその場を後にしようとした彼の背中に、

 「どうぞ今日一日お楽しみください」

 と私は声をかけた。男性は、軽く振り向き会釈して、1階へ続く階段を下りていった。

 

   

Background photo by  空色の地図

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