+++  フルーツ・コンプレックス  +++

 

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 私には、たいして怖いものはない。

 心霊現象も全く信じないし、昨今、心霊より怖いとされる生身の人間も、怖くない。

暴力に訴えられるとそれはそこそこ恐怖を感じるかもしれないが、始めて5年に

なる護身術に多少の自信はある。

 大学を出て7年、1つの企業でこつこつと働いている実績も強みだし、同僚も

後輩も上司も全く怖くない。つまり、「あたし?あたしには怖いものなど1つもない

のよ。人生順風満帆よ」と胸を張って言える状況だ。

 

 と、言いたいところだが、私にはこの世で全く駄目なものが1つだけある。

 果物が、苦手なのだ。

 果物と一口に言っても、リンゴやバナナキウイにメロンと、種類がたくさんあるので、

もしかしたら私には怖いものは数種類存在する、ということになるのかもしれない。

 「果物が嫌いな人に出会ったのは、私の人生であなたが最初で最後かもしれない」

 同僚の榎本にそう言われた時、この私の特性がそれほど珍しいことなのか、改めて

思い知らされた感がした。

 「どこが嫌いなの、果物の」

 昼食時、会社近くの喫茶店で食事をしていた時、その榎本に聞かれ私は返事に

窮した。

 「どこと言われても・・・・・・。色々あるのよ。あの酸味。あの甘さ。あの脳天にズキンと

来る」

 そこまで言って、私は口をつぐんだ。ズキンと来る?と、目の前の彼女は促したが、

私は首を振って心の中でこう付け加えた。ズキンと来る、苦々しさ。痛み。

 とくに、蜜柑がね。

 「とにかく、私の味覚が受け付けないのよ」

 「不思議な人ね」

 そう一言で片付けられ、私はまたしても相槌に窮した。不思議・・・・・・、というひとくくり

に配されただけで、もう反論の余地はない。

 

 そのとき、私の視界に信じられない光景が入り込んだ。斜め前の窓際、席に1人

座って食事をしていると思っていた若い男性の手元、食べているもの。

 なんと、フルーツの盛り合わせ。そして飲み物はオレンジジュース。

 私の価値観で考えると、絶対にあってはいけない組み合わせであり、頼んでは

いけないメニューだ。

 しかし、こちらに背を向けてはいるけれど、斜めの角度で確認できるその男性は、

黙々と、ただ一身に果物を食べていた。

 オレンジを口に含み皮を置き、リンゴはウサギにむかれている皮ごと食べ、苺を一粒

二粒口にしている。その合間、ゆっくりとオレンジジュースを飲んでいる。

 まるで顎が抜けんばかりに驚愕した私の顔を、榎本が驚いて見つめている様子が、

男性を眺める目の端で分かった。彼女は訝しそうに、私の目線の先を確認する。

 ああ、と小さく彼女は呟いた。

 「彼、製品企画部の瀧川くんじゃない」

 直後に、目を細めて彼の食べているものを凝視し付け加えた。

 「彼何食べてるの?風子といやにギャップがあるものを食べているわね」

 私は生唾を飲み込み、榎本に尋ねた。

 「榎ちゃん、なぜ彼がその人だって知ってるの?彼何者?」

 「来年度に、うちの国際部にジョブローテーションで移動してくるのよ。先日課長から

履歴書を見せてもらったばかりだから、よく覚えているわ。私たちより4歳も下」

 いくつ歳が下だろうが、そんな話は私はどうでもよかった。ただ、目の前の光景が

信じられなくて、そして心の奥底では、あんなにてらいなく果物を口にすることができる

彼を少し妬ましく思う気持ちでいっぱいだった。

 

 翌日、私は思いきった行動を取った。榎本が瀧川と言ったあの男性を、終業時間

間際に呼び出したのだ。

 初めて訪れた製品企画部の入り口で、私は所在無げに突っ立っていた。電話の

音がいくつか聞こえるだけで、比較的静かなオフィスフロアに、‘瀧川君、お客様’という

先ほど応対してくれた女性社員の声がする。

 「はい」

 入り口から出てきたのは、紛れもなくあのフルーツの盛り合わせを食べていた男性

だった。

 「突然ごめんなさい。私は国際部の千原風子と言います。今日はもうお仕事終わりです

か?」

 え?という戸惑いの顔をして、瀧川氏は目を泳がせた。それも無理はない。不躾なの

は私の方なのだから。

 「もう終わりますが・・・・・・。何でしょうか?」

 「この後、よかったらちょっとお付き合い願いたいんです」

 

   

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