+++  フルーツ・コンプレックス  +++

 

−2−

 

 強引な私の誘いに乗ってくれた瀧川氏と私は、駅前のデパート地下にあるカフェで

向かい合っていた。彼は、意外にもコーヒーのみを注文した。

 「以前に、どこかで会ったことがあるんでしょうかね?俺、何かやらかしましたか?」

 気さくな笑顔で、私にそう言う。きっと、彼はいい人だ。そう私は思う。

 「ううん、違うんです。先日ね、あなたがフルーツの大盛りをおいしそうに食べていたのを

見たのよ」

 私は、藁をもすがる思いで彼を呼び出そうと決心した、昨晩の勇気をもう一度奮い

立たせて話し始めた。

 「フルーツの・・・・・・?ああ、あの店で。そのとき千原さんもいたのですか?」

 「ええ。とても黙々と、食べていたわねフルーツを」

 「はあ。俺、こんな風に見えても案外果物が好きなもので」

 「それよ」

 私は半分叫ぶような調子でテーブルを小さく叩いた。目の前の瀧川氏は、小さく肩を

ビクリ、と動かし驚く様子をした。

 「どうしてああも果物が好きなの?どうしたら、あんなふうに食べることができるの?」

 店内の他の客が、ちらりと私を見たことに気がつき、取り乱したと多少反省しつつ

まだ驚き身を固まらせたままの瀧川氏の方を見た。

 「私は、果物がめっぽう苦手なの。先日は、同僚に‘不思議な人’扱いされたわ。私の

感覚から考えると、果物を食べることができる人って、宇宙人に近いのよ。だから、あなたは

私にとって疑わしいほど驚きの対象だったの」

 そうですか・・・・・・、と、目の前の彼は片手を顎にやって、しばし考え込んでいる。

 「千原さん、なぜ果物がそれほど苦手なんです?」

 「なぜって。味が受け付けないの。酸味もね」

 「幼い頃に、嫌な思い出とか?」

 私はつと店内の大きなガラス窓から、地下の廊下を歩く人々を眺めた。そういうわけでも

ないけれど、と、呟くように言った。

 「まあ、これは趣味の問題じゃないですか?俺がいくら果物の良さを千原さんに語っても、

多分一生理解できないと思いますよ。でも」

 「でも?」

 私は力なく、彼の方を向いた。何だか、今まで溜めていた力が一気に抜けたようで、ひどい

脱力感を感じる。勢い勇んで、私は彼から何を聞きだしたかったのだろう?まったく、

子供じみた行為だった。

 「恐らくね、あれほどすごい形相で俺に果物の良さを教えてくれって言うぐらいだから、

千原さんは、果物をいつか食べたいんだと思うよ」

 そうかしら・・・・・・。そう呟いてみる。瀧川氏は、私にそれだけ言うと店員を呼び、オレンジ

ジュースを注文した。私に一応、尋ねるふうをしたが、私がいらない、と首を振ると残念

そうに唇を引き結んだ。

 

 地下から地上1階にエスカレーターで上がる。この1階は女性用化粧品売り場や帽子、

靴の売り場がある。ここを通り抜けると駅への近道なので、私と瀧川氏は、女性で溢れる

フロアを縫うように歩いた。恐らく瀧川氏は、普段あまりこの階を歩く事などないのだろう、

物珍しそうに見渡しながら、悠々と私の前を歩いていた。

 私の左手側に、有名化粧品の売り場が見えてき、若い女性が2人がそこに立って化粧品

のテスターだろうか、それらを楽しそうに触って試しているのが見えた。

 と、そのうちの1人が、急に私の方を向いて、何かのスプレーを私の顔に吹きかけた!

あまりのことに息もできず驚きその場にうずくまった私は、その化粧水の匂いにむせ、

咳き込む。そして、はるか昔の記憶が走馬灯のように脳裏を巡り始めたことに、内心

非常に焦って、額に汗がにじんだ。

 あの、スプレーを私に吹き付けた女の子の顔が、私の母の顔にいつのまにかすれ

違って同化し、そのまま残像に残った。

 「千原さん、千原さん」

 と、遠くで私を呼ぶ瀧川氏の声が聞こえている、ような気がした。

 

 私が目を覚ますと、見覚えのない部屋だった。ぼんやりと首を動かし、壁に

かかっている時計を見ると、11時35分。恐らく、夜だろう。そして、ここは病院

に違いない、と確信したのは、開いたままになっているドアから見える、廊下を

忙しそうに行き来する看護士さんの姿。

 「深夜の救急病院か・・・・・・」

 私はそう囁いた。すると、ドアから長身の瀧川氏が手に缶コーヒーを2本持って

ひょっこり現れた。その姿を見て、私はだんだんと意識が正常に戻っていく。

 確か、彼とあのデパートの1階を歩いていたのは午後7時前。あの時間から

今まで、彼は私に付き添ってくれていたのだろうか?

 そう尋ねると、彼は

 「気にしないで。俺も用事なんてないし。何より、突然倒れた千原さんを置いて

帰るわけには行かないですよ」

 と、わざと明るくそう言い、私のベッドサイドにある丸椅子を引っ張り出して座った。

 「医者は、検査の結果何も異常ないって言ってましたよ。目が覚めたら受付して

帰っていいって。化粧水のスプレーが少し目に入ったようで、充血しているけれど

大丈夫だそうですよ」

 「あの子・・・・・・。私に向けてスプレーを吹いたのは何故なの?」

 「千原さんに向けて・・・・・・ではないと思うよ。俺もちょうど振り向いたときその

瞬間を見たけれど、あの子が友達の首筋に化粧水をかけようとして、たまたま

至近距離を通った千原さんの顔にも降りかかった、という感じだったけど」

 「そう」

 彼がそう言うのなら、きっと真相はそうなのだろう。あれは、私の心が勝手に描いた

虚構の世界。そうに違いない。実は、今までも数回、同じような妄想の攻撃を受ける

体験をしてきたのだ。

 そう1人で考え込んでいた私の様子を、側でじっと瀧川氏は見ていた。初対面の

私に、なぜそこまで真摯に対応してくれるのだろう。いい人。

 「聞いてくれる、瀧川君。私ね、」

 ふわりと身体が浮き上がったような妙な感覚を覚え、私は熱に浮かされたような

口ぶりで話し始めた。

 

   

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