+++ We love drugstores! +++

 

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 そろそろ小腹が空いたわね、太田垣・・・・・・。行徳主任のその呟きが合図で、

沙穂はデスクから立ち上がる。腕時計を見ると、午後7時を過ぎた頃だった。

 「・・・・・・了解です、買ってきます」

 「あらっ。悪いわねいつも」

 いたずらっぽくペロリと舌を出す行徳のその46歳とは思えない子供のような仕草に、

沙穂は思わず笑う。周りの職員たちもつられて笑い、それぞれがお財布を取り出して

今日の夜食は何にしようかと真剣に考え始める。

 「私マルワのカフェオレとサンドイッチね、あ、中身は卵でお願い」

 「俺はおにぎり3個。からし高菜と、ツナマヨと、明太子ね」

 「私はタカダのダブルフランスチョコパン」

 事務所中に飛び交う声を沙穂は手馴れた調子で耳に拾いながら、手元のメモ帳

(失敗した資料の裏を小さく切った沙穂お手製のメモ紙である)に書き留める。

 「はいはい、最後は山本さんで、ロッソの缶コーヒービター味と眠気覚ましガム・・・・・・

と。皆さん他にはないですか?お金くれてない人、いませんか?」

 「はーい大丈夫です」

 とほとんど全員が声を合わせて言う声を背に、まるで幼稚園の先生になった気分だ、と

沙穂は苦笑いしながら事務所を後にした。

 短大の職員専用玄関を出て裏通りの道から、50mほど歩いて大通りへ出る。裏通りは

薄暗いので足早に歩くけれど、ここまで出れば街の中心通りということもあってまだまだ

街灯や店の明かりが煌々とし、思わず沙穂はほっと息をついた。

 12月の夜風が吹きつけ、彼女が首に巻いたマフラーを一回転させそれはダラン、と垂れて

しまった。

 「寒い・・・・・・」

 と呟いて、沙穂はマフラーを巻きなおす。そして目指すは、交差点を渡った向こう側に

大きくそびえる、ドラッグストアだ。

 「いらっしゃいませ」

 店内に入ると、空気は暖かく照明は眩しく、沙穂はなんとなく浮き立つような気分になった。

この店に入ると、彼女はいつでもこんな気分になる。ここはドラッグストアとコンビニが一体化

した大型店で、生活していくうえで大体の物は手に入るのでいつでもたくさんの客で賑わって

いる。

 この地域に根付くこと40年の歴史を持つ女子短期大学の事務局、企画広報課で働く彼女は、

暮れに入り残業が続くここしばらく、夜食の買出しにほぼ毎日この店へ来ていた。短大から歩いて

5分だ、なんということはない。

 職員中一番年齢が下の沙穂がその係りになっているのは自然の成り行きで、また‘若者は

寒さに強い’、という行徳の妙な持論があってのことだ。

 

 さて、と彼女はポケットからメモを出し、しばらく目で追っていた。そして、よし、と食品のある

場所へ移動しようと入り口のドア付近からメモに目を落としたまま一歩足を踏み出した、

そのときだった。

 突然目の前が真っ暗になり、何かに正面衝突し思わず弾かれてしりもちをついた。

 何が起こったのか全く分からないままの沙穂は、激突した鼻に痛みが走り手で顔を押さえる。

 「すみません、大丈夫ですか?」

 涙が滲む目で差し出された手の方を見上げると、サラリーマン風の男性が焦りを浮かべた

顔で立っていた。その人物を見て沙穂は思わず心の中で「お」とも「あ」ともつかない驚きの

声をあげる。

 「大丈夫です」

 差し出された手を無視するわけにもいかず、自分で立ち上がることもできたが軽く相手の

手を掴んで姿勢を直した。腰の辺りをパンパン、とはたく。と、周りにあるものが転がっている

ことに気がついた。紙オムツの袋だ。

 相手の男性が拾い上げている姿をぼうっと眺めていたが、はっと我に返った沙穂は慌てて

自分の足元に転がっていた最後の1つを手に取り、彼に渡した。

 「どうもすみません」

 彼は両手にオレンジ色のカラフルなオムツの袋(Sサイズ、60枚入りと書いてあった)を合計

で3つも持ち、沙穂に頭を下げた。

 「怪我はありませんでしたか?本当にすみませんでした」

 「いえ、大丈夫ですよ。私のほうこそ前を見ていなくって、すみませんでした」

 「こちらのほうこそ、急いでいたもので・・・・・・」

 その男性は気恥ずかしそうな表情をして沙穂を一瞬見て、では失礼します、とドアから

出て行った。

 その背の高い後姿(両手には3つの紙オムツパック)を凝視していた沙穂は、ふと自分の

足元に何かまだ落ちていることに気がついた。拾い上げると、それはここから車で10分ほどの

所にあるスーパーマーケットの、ポイントカードだった。

 ‘不破美奈子’と、油性ペンで手書きした名前が書いてあった。

 「あの、忘れ物です」

 と、声に出してドアから走り出て目の前の駐車場を見渡したが、赤い小型車に乗ったあの

男性がウィンカーを左に出し大通りに出るところで、少し駆けて行った沙穂には気がつかず

彼はそのまま車を走らせて行ってしまった。

 

 沙穂は、呆然とその場に突っ立った。

 紙オムツ・・・・・・。女性の名前のポイントカード・・・・・・。

 あの人は、結婚していたのか。しかも小さな子供までいたなんて。Sサイズ。3パックも。

不破美奈子。

 

 びゅう、と風が吹きつけ、再度沙穂のマフラーをほどけさせたが、彼女はそれすら気が

つかず街灯の明かりが侘しい駐車場に立ち尽くしていた。

 

 「ただいま」

 ガラリ、と玄関の和風のドアを開け、貞司はドサリと買ってきたものを廊下に

置いた。

 「おい、誰かいるやつ、手伝ってくれ」

 家の奥に声をかけると、リビングのドアが勢いよくあいて少年が飛び出してきた。

 「てーじ、お帰り」

 「おう」

 少年の頭をくしゃくしゃと撫で、スーパーの買い袋を台所に持っていくよう指示

する。自分は、オムツを両手に持って一番奥の和室に向かった。

 そっとドアを開けると、女性がちょうど布団に起き上がったところだった。

 「おかえりなさ、お義兄さん、すみません」

 貞司の手にあるオムツを見て、女性は申し訳なさそうな顔をした。いいからいいから、

と、貞司は彼女に横になるように手でジェスチャーして、枕元に座る。

 「調子、どう?」

 「はい、もう熱は完全に下がっているんですが、目まいと頭痛がして・・・・・・。でも、

明日になれば大丈夫です」

 「無理するなよ。今年の風邪は長引くらしいから。鈴ちゃんは・・・・・・寝てるな」

 女性の布団の横に、小さなベビー布団が並べてられてあり、そこには小さな

赤ちゃんがスヤスヤと眠っている。貞司は少し体を伸ばして赤ちゃんを見、

微笑んだ。赤ん坊の寝顔を見ると、一日の疲れも吹き飛ぶと思う貞司だった。

 「美奈子さんは多分遠慮してオムツ1個って言ったんだと思うけど、お1人様

3個までだったから思わず買ったよ」

 「ありがとうございます」

 クスクス、と、美奈子と呼ばれた女性は笑った。

 「買い物までしてもらって。明日からは私が家事しますから」

 「気にしないでいいから。まったく、父さんも母さんも雄三も、迷惑な話だよな」

 「お義兄さんが一番大変ですね」

 「まあ昔からこういうのは慣れてるけど・・・・・・」

 と言いながら部屋の掛け時計をみ、8時を少し回っていることに気がついた

貞司は、じゃあゆっくり寝て、と美奈子に声をかけ、部屋の明かりを消した。

 

 台所に入るとドシン、と少年が体当たりしてきた。いてて、と、思わずよろけて壁で

頭を打った貞司は、こら、と少年の頭を軽くはたいた。

 「てーじ、腹減った。なんかメシ作ってくれ」

 「え?」

 冷蔵庫に食品をなおしながら、貞司は素っ頓狂な声を出す。

 「お前メシ食ってないのか?」

 「うん」

 「奈津は?あいつに、今日の晩飯頼んでたんだけど」

 「姉ちゃんなら、学校から帰ってすぐに遊びに行ったよ。なんかおしゃれして

行ったから彼氏のとこだよ、絶対」

 はあ、と、貞司は脱力感を感じて冷蔵庫に背中をつけた。彼の妹である奈津は

短大2年生だが、家事に非協力的な姿勢は幼いときから変わっていない。貞司を

含む5人兄弟の中で唯一の女性である奈津は、兄弟の誰よりも活発な性格だ。

 「じゃあ美奈子さんも何も食べてないのか?」

 「俺がさっきリンゴを剥いてやったよ。それから冷蔵庫にあったおにぎりも、チン

して持ってった。あまり食べられないみたいだけど」

 「おお、お前はできるやつだな、慎」

 貞司は少年、慎の頭を、またクシャクシャと撫でた。リビングのテレビの上に

かかっている時計を見ると、8時半近くなろうとしている。もうそろそろ謙吾が

バイトから帰ってくる。きっとやつも猛烈に腹を空かせて帰ってくるに違いない、

と予想した貞司は、すぐに作ることができそうなメニューを頭の中でフル回転で

考えながら冷蔵庫の扉を開けた。

 

 雨の日の運転で貞司の父親、母親、すぐ下の弟の雄三が乗る車がスリップし、

ガードレールに突っ込んだ。それぞれどこかしこ1箇所づつ骨折し、ただいま

入院中だ。もう2週間以上になる。

 運悪く、その後にひどい風邪を引いてしまった雄三の奥さんとまだ幼い女の子、

鈴を、近いとはいえコーポに置いたままにするわけにはいかず、雄三が退院する

まで1週間ほど前からこの家に泊まってもらっている。

 人数の多い家族の生活がちょっと変則的になって、けれど相変わらず長男の

貞司には雑多な苦労が待っている。

 スーツの上着を脱ぎ、シャツの腕をまくって弟たちと自分のためにチャーハンを

作りながら、貞司はぼんやりと先ほどのドラッグストアでの出来事を思い出していた。

 ‘私の方こそ前を見ていなくって・・・・・・’

 と言う女性の声と顔をまざまざと思い出し、そうか、彼女はあんな声をしていたん

だな、と新鮮な発見をしたような気持ちになった。想像していたよりももっと、きれい

な声だった。自分が差し出した手を軽く握った彼女の手は、とても冷たかった。

そして、とても柔らかかった。

 

 いつもメモを見ながら大量の食べ物を買っている。職場が近くで代表して買出し

に来ているのだろうか。それとも家の手伝いで?

 俺が彼女に毎回気がついていること、彼女は知っているだろうか・・・・・・。

 

 彼にしては珍しく気弱に、そんなことをつらつらと考えながら、手元は器用に

黙々とチャーハンを作り上げていっていた。

 

   

Background photo by  CoCo*

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