+++ We love drugstores! +++

 

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 はあ、と沙穂は今日何度目か分からない溜息をついた。彼女が所属する企画

広報課は、来年度入学する新入生に向けての準備や、更に再来年度の生徒募集に

関する企画立案、また多くなる学校行事の補佐や教授会の下準備等で12月は

激務が続き、事務局の誰もが休む暇もなく働いていた。

 沙穂も、午後から行われる事務局全体の会議が企画広報課主催のためその資料

作りに余念がない・・・・・・、はずだった。

 けれど、気がつくと手は止まり、思考は昨晩のドラッグストアの男性にトリップする

のだ。

 彼女があの男性に気がついたのは、2週間ほど前からだ。きっかけは、のど飴。

 例のごとく、夜食の買出しに出かけたあの店で、メモ帳に‘ハーブのど飴’

と書いてあるのを見て彼女はのど飴が置いてある棚に向かった。と、陳列してある

前に、背の高い男性が立っていた。その男性は、じっとそこに立って、のど飴の

袋を1つ手にとって睨んでいた。そして元に戻し、また別の種類の袋を手に取り

じっと睨む。片方の手を口にやり、なにやら悩んでいるようだった。

 彼の足元には、トレットペーパー12ロールが置かれていた。

 沙穂は、とても衝撃を受けた。

 ‘だってね、その男の人と、のど飴と、トイレットペーパーが、全然噛み合って

ないんだから。男の人は、とてもかっこよくって生活感のないふうなのに、選んでる

ものは生活感丸出し’

 ‘まあ、1人暮らしの男性ならそういうのも買う必要あるんじゃない?どんな格好いい

男の人だって、生活してるわけだし’

 沙穂の浮かれた話を聞いて、友人は電話の向うから呆れたような声で言った。

 その後、毎日、ほぼ沙穂と同じ時間帯にこのドラッグストアに来ている男性の

買うものを目にして、彼女はますますそのギャップに好奇心を覚えた。

 ある時はサランラップを、ある時はボックスティッシュ5個セットを、ある時は

台所やお風呂場の洗剤もろもろを。

 一見、近寄りがたいぐらいの男前さがあるのに、買うものは親しみやすいもの

ばかり。

 沙穂は、気持ちが急速に、この名前も職業も年齢も、住んでいる場所さえ知ら

ない男性に傾くことを自覚して、困り果てた。と、同時に、片想いの楽しさと言うか、

恋愛の高揚感を久しぶりに感じて、毎日がとても充実してきたことも確かだった。

 

 外見だけに浮かれて、しかも彼の買うものまで毎回盗み見て。

 子供のように稚拙なこの一方的な恋愛ごっこに、就職してからそういったもの

とは無縁だった沙穂は思わず奇妙な幸福感を味わっていた。

 

 けれど、彼の生活感ありの買い物は、オムツにまで発展した。Sサイズ3パック。

 「これで納得した」

 沙穂は小さく呟いた。彼は今まで、赤ん坊の世話をする奥さんを助けるために、

仕事帰りに家の買い物をしていたに過ぎないのだ。奥さんからスーパーのポイント

カードを受け取って食料品も買って帰っていたのだ。

 今までで一番深い溜息をついて、今日の昼休みに車を飛ばして例のスーパーへ

行き、不破美奈子さんのポイントカードを落し物として届けてきたことを思い浮かべた。

 「ちょっと太田垣。どうしたの」

 行徳が、沙穂の側を通りかけて思わず声をかけた。沙穂は、机に頭を突っ伏した

形で溜息をついていたのだ。

 「沈みまくっちゃって。あんたの周りだけ地縛霊がいるみたいよ。溜息つく暇ないよ、

仕事仕事」

 

 「頭痛薬が欲しいのですが。なんでもいいです、すぐ効くの」

 その日の買出しで、沙穂はまず薬のカウンターに向かいこう尋ねた。色々と考え過ぎで

頭が痛くなってきたのだ。これでは仕事が進まない。薬剤師がオススメの頭痛薬を探して

いる時に、すぐ隣のカウンターにもお客が1人近づいてきたのが、沙穂の横目に入った。

もう1人の薬剤師が応対する。

 「すぐ効く頭痛薬ありますか?」

 沙穂ははっとしてその声のするほうを見た。あの、男性だった。男性の方も視線を感じた

のか沙穂の方を見て、一瞬固まったように見えた。

 「こんばんは・・・・・・、この前はすみませんでした」

 「こんばんは、いいえ、とんでもないです」

 お互い微笑んで会釈した。それぞれの薬剤師が色々と選んだ薬を並べて説明をして

いる間、沙穂と男性は2人しておもしろいように気の抜けた返事を返していた。

 沙穂は、とにかく左横から感じる男性のオーラに気もそぞろで、この後どうしよう、声を

またかけようか、それとも会釈してこの場を去るべきか、とじりじりと焦る。

 「体調が悪いんですか?」

 声をかけてきたのは男性の方だった。沙穂はおつりを財布に入れている最中で、

びくっとしてしまい小銭を床に3枚落としてしまった。

 慌てて拾う沙穂は小銭が全く拾えず、かえって男性の方が全て拾い、沙穂が開いた

お財布の中にチャリン、チャリン、チャリンと小銭を入れた。沙穂は震えそうな声を

押し隠して尋ねる。

 「ちょっと頭痛が。あなたもですか?」

 この頭痛は、あなたのせいなんです・・・・・・なんて図々しいこと死んでも言えないな、と

思いながら、沙穂は男性をしばしじっくり観察した。やっぱり素敵。

 「そう、頭痛なんて珍しいんですけどね」

 2人で薬のレジから離れながら歩いた。レジには数人の客が並びかけていたので

沙穂はその人たちと肩がぶつかりそうになる。その時、男性の片手がさりげなく沙穂の

背中に添えられて、そっと人ごみを上手によけるように誘ってくれていることに気が

ついた。

 このさりげない優しさ・・・・・・。やはり妻帯者ならではだ、と沙穂は嬉しいのか悲しいのか

分からない気持ちになる。

 

 貞司は、目の前の女性をじっと見下ろした。少し戸惑って多少悲しげに見えるのは、

やはりどこか体調が悪いのだろうか?それとも、自分に声をかけられ迷惑しているの

かもしれない。 

 迷惑がられてはかなわないな・・・・・・と、名残惜しい気持ちを引き締めて、じゃあまた、

と去ろうとしたとき、‘あの’という彼女の声が聞こえた。

 「先日ぶつかったときに、スーパーのカードを落としませんでしたか?」

 「え?」

 振り向きざまに貞司は驚いた。そして、あ、と思い立った。

 「ベアーマートのポイントカードでした、お名前が書いてあって・・・・・・確か、不破

美奈子さんって」

 「ごめんね、それ俺のです。落としたの気がつかなかったな」

 「・・・・・・今日のお昼頃、ベアーマートの方へ落し物で届けておきましたから。今度

行った時に尋ねてみてください」

 「なんだか重ね重ねすみません、迷惑ばかりかけちゃって」

 彼女は白い頬を微かに赤く染めて、うつむいた。その拍子にパサリ、と前髪が顔に

かかって、彼女の表情を隠してしまった。貞司は思わず、その前髪を掻き分けてどんな

表情をしているのか見たい、という欲求に襲われて‘おお、ブレーキブレーキ’と呟いた。

 まだ少し彼女と話していたい、と貞司は思い、なんとなく彼女の歩幅に合わせて歩いた。

彼女もゆっくりと、商品棚の間の通路を歩く。

 「・・・・・・実は、いつもこのお店で不破さんのことお見かけしていたんです」

 「・・・・・・」

 貞司は驚いて、歩きを止め彼女を見た。彼女はまだ俯いて、少し顔を染めたままだ。

 「・・・・・・実は、自分もですよ。毎日だいたい同じ時間帯に来られてますよね」

 「そうなんです。職場がこの近くで、一番後輩の自分が残業の夜食を買う係りで」

 彼女が俯いていた顔をぱっと上に上げたので、貞司と完全に視線が合う形になった。

彼女のそのきれいな目とカールされた睫毛に、視線が吸い込まれそうになる。

 「そうなんだ。大変ですね」

 「・・・・・・不破さんは、いつも生活用品をこまめに買われていますね、あ、ごめんなさい、

いつもチェックしていたわけではないんです、自然と目に入ってくると言うか」

 慌てている彼女がおかしくて、貞司はクスリと笑う。なんだか正直でかわいい人

だなあ、と好印象をさらに強くする。

 「ちょっと家庭の事情で。テイマイがたくさんいるもんですから」

 「テイマイ?」

 「そう弟妹。俺、5人兄弟の一番上なんですよ」

 「5人も?」

 彼女が先ほどから連続で驚いている。無理もない、こう説明すると、誰もが最初は

こういった驚きの声を出す。貞司は自分でも、いまどき5人兄弟なんてすごいよな、

と思うのだった。

 「下は小学4年生から上は結婚した社会人まで。俺の下に4人います」

 貞司は弟たちの顔を思い浮かべながら説明した。彼女は口を小さく開けて、ほとんど

感心したような不思議な表情をしている。そのリアクションが、すごくかわいいと貞司は

思った。

 

 ‘最後に、お名前なんですか?’と聞かれ、沙穂は自分の名前を告げる。

 「さよなら、太田垣さん。頭痛、お大事に」

 「不破さんも」

 2人は微笑みあって会釈した。去っていく貞司の後姿をまたじっと眺めながら、沙穂は

眉間にしわを寄せ頭を一生懸命捻っていた。

 奥さんと、お子さんと、テイマイたちのために日用品を買って帰っている・・・・・・

 ということは、全員で同居?かなり大所帯な家なんだ・・・・・・。

 一人っ子の沙穂は、思わず羨ましくなった。

 彼女が幼い時は両親が共働きだったので、学校から誰もいない家に帰るのが寂しくて

嫌でたまらなかったことを思い出した。

 不破さんの家は、常に賑やかなんだろう。かわいいお子さんと、綺麗な奥さん、気心の

知れた兄弟たち。

 

 ますます頭痛がひどくなった気がして、沙穂はこめかみをそっと押さえた。

    

Background photo by  CoCo*

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