+++ 秋をのりこえた人  +++

 

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 「愛している、なんていう言葉、日本人の男性が普通言いますかね」

 「言うでしょう。言うと思いますよ。今の若い男性は、彼女にさらっと言うんじゃないですか?」

 「そうかしら。結婚10年も20年もすると、そんな歯の浮くようなセリフは相手から聞いたことも

ないし、なんだか気持ち悪くて聞きたいとも思わないわ」

 集まった面々が、苦笑する。適度に明るい店の照明のせいか、顔をつき合わせて懐石料理を

堪能しつつお喋りに興じているこの中年女性たちの顔は、生き生きと、そして若やいで見える。

 「愛って言うけれど、それも形が様々ですからね。男と女としてお互いを愛してるって告げるのは

やっぱり恥の文化をしょってる日本人には、ちょっとヘビーよね」

 「そうそう。生活を共にしてると、もう何が愛で何が憐れみで何が同情でなにが義務で・・・・・・って

分からなくなる」

 いえてる。そうほぼ全員が、力強く頷きあっている。

 「でもこの中で一番若くて独身の城田専務は、どう思ってるのかしら?」

 「え?」

 突然話を振られた葉月はハっとして自分を興味深く眺めている彼女らの視線を、痛いほど

受け止めた。こうなることは半分予知していた。話題がこういう方向になると必ず、彼女たちは

唯一の20歳代で自分たちの上司である葉月に意見を求めた。そして、同じく自分たち最大の

ボスである社長の半藤と、葉月の、ほとんど恋人のようなまったく赤の他人のようなミステリアス

な関係を解明する糸口をどうにか聞き出そうと、耳をそばだてているのである。

 「ああ・・・・・・と、どうでしょうか。ええと、どういうことについて?」

 「いやだ、ちゃんと話題についてきてくださいよ専務。脳細胞若いんだから」

 笑いが起きる。葉月も決まり悪そうに笑って手元の酎ハイを一口飲んだ。そうして唇を湿らせる。

 「いまどきの男性が、‘愛している’なんて言うのかどうかですよ。それとか、まあ愛について

もろもろ。どう思います?」

 「もう、みなさん哲学的なんだから。難しいですよ、私にだって」

 降参、というふうに、葉月が両手をビシリと前に出して見せる。彼女たちは、普段仕事で酷使

しているはずの何一つ見逃すまい、という肉食動物のような鋭い目つきを緩めずに、葉月の

端正な顔を見ている。一番はしに座る、この女性社員たちの中で最もベテランである弓野が

両腕を前で組んで、ひどく思案顔でこう言った。

 「まあ一つ確かなのは、うちの会社の男性たちは絶対にこういうセリフを吐くタイプじゃない

ってことよね」

 「ないない。全員体育会系で朴念仁って風情だからね」

 「社長なんかその最たるものじゃないかしら。あの人が女性に愛の告白をするなんて、

ガラじゃないわよね」

 そうよね、と彼女たちは一様にうなずき、そして一様に葉月を見た。そうですね、と、曖昧な

笑顔を返しつつ、葉月はどうにか自分の目も笑っていますように、と必死で念じていた。

 「逆にその方が、私たちみたいに人生半分折り返し来たような経験豊かなおばちゃんから

見たら好印象ね。日本男児たるもの・・・・・・ってことよ」

 弓野がまるで葉月を救うかのような締めくくりの発言をして、また彼女たちは手元の料理を

つつきつつ、他の他愛ない話・・・・・・たとえば韓国の連続ドラマのことなど・・・・・・をお喋りしだした。

 葉月は密かにため息をつき、箸を取った。しかし食欲は全くなく、心の中では今日の午前、

半藤が運転する社用車で数キロ離れた商業施設に向かっていた時のことを思い浮かべていた。

 

 彼、半藤周平が経営する警備会社は、まだまだ小さい会社ながらも幅広い警備を手がける

ことがモットーでもあった。

 彼は警察官時代の経験と人脈を生かし、少数精鋭のシークレットサービスを展開し彼を

含む屈強な男性たちを警備要員として従えている。

 今はまだ身辺警護のサービスは小規模なので、顧客筋からの依頼のみ受けている形だが、

社長の半藤がまだ34歳という若さもあって業界では近頃少しづつ注目される会社になりつつ

ある。

 そして実質上、会社では専務という半藤の次に権限を与えられている葉月は、商業施設に

配置する私服警備員、すなわち万引きを防止する女性警備員たちの発掘と養成や、その他

制服警備員いわゆるガードマンの配置等、細かい業務を担当し彼をサポートしているのだ。

 今日は、葉月が前もって面接し数人選び出した人脈を、最終的に半藤に引き合わせて採用を 

決めてもらうために2人して車で移動しているのだった。

 車内は、朝のキリッと澄んだ空気と、男女の一触即発な雰囲気とが入り混じって、葉月は今にも

息がつまりそうになっていた。

 こっそりと、運転している半藤を盗み見る。彼もこめかみに力が入っているように見えた。

 ハンドルを握る手にも、血管が浮き出ている。強く握っている証拠だ。

 訳もなく、奇妙な安堵の溜息が漏れた。昨晩の2人に起きた出来事を、思い煩っているのは

自分だけではないのだ。めったに感情を表に出さない男としては、この反応は多くを語っていた。

 「昨日はすまなかった」

 高速道路の出口を過ぎたぐらいで、突然半藤が口を開いた。そう言って、ちらと葉月を見る。

 「・・・・・・いいえ。気にしないでください」

 葉月が落ち着いた声でそう答えると、半藤が今度は先ほどより数秒長く彼女の方を見た。

葉月は真っ直ぐにフロントガラスの方へ顔を向けたまま、わずかな時間であるが彼が自分に

向けた眼差しを横顔で意識し、胸が高鳴った。なぜなら、昨晩と同じような眼差しだと直感で

分かったからだ。

 深く人を洞察する鋭い目。けれど、その奥では激しく静かに、彼女に対する様々な想いが

渦巻いていた、少なくとも、昨晩はそうだった、と葉月は信じている。

 仕事の後、2人で軽く食事をして、葉月の住むマンションまで半藤に車で送ってもらった、その

場面。また明日、と挨拶をし、車のドアを開けようとした葉月の手をがっしりと半藤が掴んだ。

そして、まるで帰らせまいとするように掴んだ自分に対して半藤自身が一番驚いていた、彼の

顔には戸惑いと苦悩が浮かんでいたからだ。

 そして、彼が身を乗り出して葉月の顔に自分の顔を近づけ、お互いの唇が触れ合うまで

あと数センチ、というところで、我に帰ったような顔をして半藤が身を引いた。そして、大きな

手で葉月の手首を掴んだままであることに気づき、そっと手を離した。

 初めて半藤の目を、口を、身体をあんなにも近くで感じて、葉月はほとんどパニックに近い

状態になってしまった。そんな彼女の状態を静かに見つめて、半藤は落ち着かせるように

彼女の肩に手を置いた。しばらく、2人はその状態でお互いを息を殺して見合った。

 

 ただ、外にある街灯の明かりだけが2人の蒼白い顔を照らしていた。

 

   

Background photo by Four seasons

 

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