+++ ターコイズ +++

 

  先ほどから、私のすぐ後ろの席の若い女性グループが、賑やかにある話題で

盛り上がっている。

 私がこの席についたときはそれほど賑やかではなかったけれど、どうも、

1人が誕生石に関する本を取り出したらしく、それでどの月生まれの誕生石は

ダイヤだ、オパールだ、そしてその宝石の意味はどうだ、という会話から、

過去彼女たちが付き合った男性たちから貢がれたジュエリーの数々まで、

彼女たちは「我も我も」とまるで暴露大会のように楽しそうに語っている。

 別に、私は盗み聞きするつもりはなかった。ただ、ぽつんと約束の相手を待っている

間、どうも手持ち無沙汰でひとりでに会話が耳に入ってくるのだ。そう広くはない

こじんまりとした創作料理の店内、私の座っている椅子の背もたれにほんの50cm

ほど離れて、次の席の椅子があるのだから、話を聞くな、というほうが無理だろう。

 本当に、他人の恋愛話ほどおもしろいものはない。そしてそれが、過去贈られた

ジュエリー、という限定の話題になると、その珍しさから私は興味をそそられながら、

けれど悟られないように手元のカクテルをゆっくり飲む動作はやめなかった。

 そのとき、1人の女性がこう言った。

 「彼氏ばなしで、なかなか誕生石が先に進まないよ。では最後、12月。12月はね、

ターコイズ」

 「ターコイズ?」

 2人ほどが不思議そうな声を出す。ターコイズを知らない風だった。

 「そう。トルコ石のことね」

 「なーんだ、トルコ石。よかった、12月生まれじゃなくって。この中には、いないよね」

 「いないね。トルコ石なんて、ちょっと地味だし、おばさんっぽいよね」

 うんうん、と彼女たちは頷きあって、また過去の男性遍歴に話をもどした。

 私はおかしくなって、クスリ、と笑った。ターコイズって、やはり地味だしおばさんっぽい

のね。そして、右手の人差し指にしているターコイズの指輪を、触ってみた。

 不思議と、彼女たちの意見に憤る気にならない。確かに、私も彼女たちの年齢ぐらい

(20代前半だろうか)の時は、この石はさほど好きではなかった。けれど、20代後半も

最後になると、最近妙にこのターコイズに魅力を感じる自分がいる。

 この指輪は、ハンドメイドのアクセサリーショップをネットで探して、あるお店でオーダー

したものだ。小ぶりの丸いターコイズの周りを、ココナッツベージュのチェコビーズで縁取って、

とても上品で淡い味わいのリングができたと思うのだ。

 ターコイズの青がまた、私をうっとりさせる。深い深い海の色・・・・・・ではなく、海にミルクを

まぜたような、甘い色。

 このリングを彼女たちに見せれば、ターコイズに対する誤解も解けるかしら、気に入って

もらえるかしら。などと、私は少々厚かましい思いに駆られたが、ここは大人しくしておこう、

と椅子に座る位置を少し変え、またカクテルを口にした。

 

 私にとって過去のジュエリーの嗜好は、そのまま自分自身が大人へ変わっていく、その

変遷の歴史でもあったし、この背後の女性たちのようにお付き合いをした男性たち

(それほど多くはないが)によっても多少の変化はあった。

 幼いころは、とにかく大きな指輪で、キラキラしていて・・・・・・というものが好きで、よく

友人たちとおもちゃ屋や縁日の屋台で買ったチープなリングを集めたものだった。

色はピンク、赤。母にもらった布張りの箱にかなりの数を集めていたが、結局何回か

引越しを繰り返す中その存在さえも私は忘れてしまっていた。今、改めて、あの箱は

どこへ行ったのだろうか、と都合よく思う。大切に取っていたら、きっと自分に女の子の

子供ができたら伝えることができるのに、などと。同じく集めていた当時の友人とは

今も親交があるので、今度彼女に持っているかどうか電話して聞いてみよう。

 そして勉強ばかりの灰色の中学、高校時代を過ぎて、18歳。短大時代。バブルがはじけて

間もなかったので、そこまで派手な学生時代を送ったわけでもないが、その年齢なりに

遊んだし、恋もした。

 初めてデパートのジュエリーショップで指輪を買ったのも、このころだ。短大1年生の時に

イタリア料理店でバイトをし、そのお金でムーンストーンのシルバーリングを買った。

 確か、6千円ほどしたと思う。当時の私には、この金額をアクセサリーに投資するのは

かなり思い切った行動だったと覚えている。けれど、「初めて自分で稼いだお金で、きちんと

した指輪を買いたい」と、しっかりした考えなのだか、背伸びをしていたのだか分からないような

気持ちだった。それも、今は手元にない。どこへ消えたのだろう?

 

 20歳の時に、初めて男性と付き合った。私が入部していた学友会(生徒会のようなもの)

においての他大学との交流会を通して知り合った、2歳年上の男性。彼はその4年生大学で

野球部に入っていた。根っからのスポーツマンだった。故郷も近かったという類似点もあり、

私たちはすぐに意気投合し、本当の意味で恋人になるのも早かった。当時20歳と22歳。

ホルモンの分泌も過多な時期。懐かしい、若い時代だ。

 その彼からは、クリスマスにゴールドの3連リングに小さなダイヤが散りばめられたかなり

ゴージャスなものを贈られた。そういうものがもてはやされた時代であったし、彼としても

無理をして彼女の心をつなぎとめておきたい、という気持ちの表れだったと今にして思う。

 次のジュエリーは、卒業して入社した会社の5歳上の男性から贈られたもの。もうあの

野球部の彼とは終わっていて、周りの環境が何もかも‘大人’に思えた企業の中で、さらに

‘大人’の男性と付き合うことになった私は、メイクや服装も少し変えた。

 その彼からは、実にたくさんの贈り物を貰った。クリスマスや誕生日というイベントごとに。

人気ブランドショップの指輪や、ペリドット、タンザナイトという天然石のシンプルな指輪。

とても高価なものだったと思う。

 そして、彼が妻帯者と知った日、私は別れを決めた。

 その彼と別れて、私は男性不信になった。声をかけてくる男性すべてが、嘘をついて

いるような気がしてならなかった。次第に、アクセサリーは「自分で買うもの」という意識が

身につき、給料を貰うとブラブラとデパートやお気に入りのショップを巡り、指輪やネック

レスを1つずつ増やしていった。

 

 そして、今の夫と出会った。彼は、頑固なほどに誠実で、真っ正直な人間だ。

男性・・・・・・というより、人間不信に近かった私は、彼に出会って昔からの友人に

「人が変わったようだ」と言われた。「丸くなったね」と。

 きっと、幼いころ赤やピンクの玩具の指輪を集めていた私は「丸かった」のかも

しれない。それが、様々な環境、人間関係にもまれていくにつれて、虚勢や意地が

体をがんじがらめにし「尖って」しまったに違いない。それを、彼が再度丸くしてくれた。

 かけがえのない人。

 彼からは、とてもシンプルな結婚指輪を貰った。プラチナのリングに小さな、本当に

数ミリの小さなエメラルドが1つ埋められている。

 私は5月生まれで、誕生石はエメラルド。けれど、意外に高価なこの石。彼の

予算では到底無理だ。そこで、あらかじめ2人分の指輪代を提示して、この金額で

できるだけ自分たちの希望に沿うようにしてほしい、と店のスタッフに申し出た。

 その宝石店はすべてオーダーでデザインを注文でき、店がかかえる腕のいい

職人が1つ1つ手作りする。おかげで、無理を言ったけれど予算内で小さなエメラルド

を埋めてもらうことができた。

 指輪を店から受け取ったとき、彼が言った言葉が今でも忘れられない。

 「今はこの大きさのエメラルドだけど、10年後は2倍、20年後はまたその倍の、

大きいエメラルドにしてあげるよ」

 

 「遅れたね」

 学生時代からの友人である千佳世が、店に入ってきて私の前に座った。

 物思いにふけっていた私は、夢から覚めたようにはっとした顔で、彼女の顔を

見た。仕事が遅くなっちゃって。と、ちゃめっけたっぷりに舌を出した。

 彼女も飲み物を頼み、前菜が運ばれてきた。

 「今日は、恭二さん、1人にしてよかったの?」

 口に料理を運びながら千佳世が尋ねた。

 「いいのいいの。久しぶりに千佳世に会えるって、私何日も前から張り切って

いたし。息抜きしておいでって言ってた。専業主婦は、なかなかこういうお店にも

来る機会がないし」

 「今頃、何してるんだろ?」

 恭二の生真面目な顔を思い出したのか、千佳世はふふふと微笑んだ。

 「多分、新しく買ったゲームね。プレステ2。もくもくと楽しんでいるんじゃない?」

 そのとき、彼女の目が私の指に止まった。

 「わあ、素敵な指輪してるじゃない!それ、ターコイズ?」

 「うん、そう。分かった?」

 見せて・・・・・・、と私の手を取り、しげしげと眺める。これはチェコビーズね、ベージュと

ターコイズがいい雰囲気じゃない。似合ってる。そう千佳世は楽しげに言った。

 さすが、学生時代から私とほとんど変わらないようなジュエリーと男性の遍歴を

渡り歩いてきた戦友だけあって、私と感覚が同じだ。

 

 ふと、背後の女性たちが黙り込んでいることに私は気がついた。息を殺している、

という感じがする。

 もしかして、千佳世の大きな声で「ターコイズ」云々が聞こえたのだろうか。そして、

先ほどまでその石についてけなしていた自分たちの会話を、私に聞かれていたのでは

ないだろうか、というバツの悪い思いを今しているのかもしれない。そんな空気がした。

 私は、肩越しに彼女たちに振り返り、こう言った。

 「この指輪、見てみます?けっこう、かわいいですよ」

 

 

    

Background photo by 青煉瓦屋敷.

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