+++ テレホン +++

 

 「お世話になります。長崎オフィスの、石津です」

 「あ、お世話になります」

 「お疲れ様です。今日は、5時半過ぎでもいらっしゃるんですね?」

 「はい、ちょと、残業です」

 私がそう言うと、電話の向こうでアハハと明るく笑う石津さんの声がした。彼はいつも元気。

威勢がいい。

 「今日は、代理店は」

 「ずっと外出でして・・・。もう事務所には戻らないと思います」

 「ああ、そうですか。代理店も、お忙しい」

 「そうなんです。何かお伝えしましょうか?」

 「そうですね、今期キャンペーンについて、Faxいきました?」

 「はい、きてました」

 「そのことについてなので、じゃあ僕の方から代理店の携帯に電話しておきましょう」

 「よろしくお願いします」

 「じゃ、失礼します」

 「はい、失礼します。お疲れ様です」

 「お疲れ様でした・・・・・・あ、立花さん」

 受話器を置こうとしてその声が聞こえた私は、慌てて受話器を耳に戻した。

 「はい?」

 「今日は花冷えですが、あったかくしてくださいね・・・・・・」

 「ありがとうございます。石津さんも風邪引かないでください。お疲れ様でした」

 ゆっくりと受話器を置いて、私はほうっと息をついた。

 ある化粧品メーカーの代理店事務所に勤めている私。単なる事務員だが、

販売員さんをサポートする、けっこう大変な仕事をしている。日々、アクの強い

販売員さんに囲まれながら、仕事をとにかくこなしている感じだ。

 長崎市の中心街にビルを置く長崎オフィスは、県内の代理店事務所を取りまとめ

サポートしてくれている。

 なかでも、私の勤める事務所担当の男性社員、石津さん。力強くて、親切な人。

 「立花さん、今の石津さん?」

 まだぼんやりしている私に、同じ事務員の片桐さんが話しかけた。商品棚を

整理していた片桐さんは、ちょっと笑いながら私のほうを見ている。

 ばれたかな。

 そう思いながら、私はなるべく平静を装ってテキパキとデスクの上を片付け始めた。

 「ハイ、そうです、石津さんでした。代理店に用事があったみたいで・・・・・・」

 ああ、そうなの、と片桐さんは頷いて、サアそろそろ私たちも帰りましょう、と言った。

保育園のお迎えに、ギリギリだわ・・・・・・そう時計を見ながら、彼女は呟いた。

 

 私は、顔も見たこともない石津さんに、恋をしている。これは、誰にも話していない。

 なぜかというと、会った事もない相手を好きなるなんて、浮世離れしている・・・・・・

と笑われそうだから。

 25歳にもなって彼氏もいず、まだそんな夢のようなことを言っているのか。そう思われそうで、

私は怖かった。

 「憧れでしょ?単なる。」

 そう自分で自分に言い聞かせる。

 「会うチャンスなんて、あるの?」

 ない。

 「彼の年齢は?彼女の有無は?結婚しているかもよ?」

 全部知らない。

 「彼は、20以上の代理店を担当している。私はその中の一つに他ならないのよ?」

 それも、分かってる。

 「自分の会社の売上を上げるため、それは各代理店にいい顔をして、一生懸命

サポートするでしょうよ」

 ・・・・・・そうかもしれない。ビジネスライクに、彼はそうしてるのかもしれない。

 でも、違うかもしれない。彼はいつも、‘一緒にがんばっていきましょう’と言っている。

純粋に、仕事をがんばってい

るだけかもしれないじゃないか。毎回、電話を切り際に何か一言、こちらの様子を尋ねて

くれる。そんな気配り、なかなかできない。

 言葉の端々に、人を元気付けようとするオーラが出る男性なんて、そうそういない。

そう思う。そしてジョークも分かるし、さっぱりしているし。私のタイプそのものなのだ。

 「そんなこと、会って詳しい話をしたことがないのに、なぜ分かるの?」

 ・・・・・・本当だ。電話だけの恋は、ツライね・・・・・・。

 

 そんな私に、チャンスがめぐってきた。キャンペーンの合同セミナーに、代理店の

おともをすることになったのだ。

  その当日の朝、1人暮しの私の部屋に、代理店から電話が入った。

 「1名販売員さんの欠席が出たの。悪いけど、立花さん来ない?出勤あつかいにするから」

 「あ、はい、分かりました」

 ばたばたと支度をして家を出、代理店の車に乗りこみ、今セミナーの会場にいる。

 なんと、そこは長崎オフィスだった。

 まさか、彼の姿を見ることはできないだろうな、誰が誰だかわからないし・・・・・・。

 

 そう思っていた私の目の前に、今石津さんがいる。代理店が彼を呼んで、私を紹介し始めた。

 「石津さん、ちょっと紹介するわ。彼女が立花さん。わが事務所の華よ」

 石津さんと呼ばれた男性はハっとした顔をして、私の方を見た。一瞬、目が合った。

 「はい、存じてます。いつもお電話で、お話させてもらっているので」

 石津さんは、にっこり笑ってそう言った。私はただただ、緊張して頭を下げた。

 「お世話になります。いつもありがとうございます」

 「彼女、かわいいでしょう?一生懸命やってくれてるの。まだ務め始めたばかりだから、

石津さんも、助けてあげてね」

 「ええ、しっかりされた方だなあと思ってました。代理店も、安心して事務所を任せられ

ますね・・・・・・」

 代理店と話しをしている石津さんを、私はじっと見た。

 思っていたとおりの、素敵な人だった。スーツをきちんと着込み、背の高い、明るい人。

年齢も、私とそんなに離れていないように思えた。

 ついに、実物の彼を見れた。私は涙が込み上げてきそうで、うつむいていた。

 

 「私はこのまま残って、別会場である代理店会議に出席するんだけど・・・・・・。立花さん、

1人で帰れる?」

 セミナーが終って、廊下に人が溢れている。声を張り上げないと聞こえないほどの活気だ。

 代理店は私の腕をつかんで、早口でそう言った。

 「はい、大丈夫です」

 「電車あるかな」

 「多分、あると思います、特急ですと30分ですし」

 「交通費は、また明日請求してね」

 わかりました、と私が言うと同時に、風のように人ごみを掻き分けて去って行ってしまった。

相変わらず、忙しい人だ。

 人の波に揉まれながら、私はさて出口に向かわなくっちゃと気合を入れた。

 その時、また腕をつかまれた。

 「大丈夫ですか?出口、分かりますか?」

 石津さんだった。私は体が固まる。特につかまれた腕が、別物のように固まっているようだ。

 「ちょっとコーヒーでもおごりますよ」

 口に手を持っていって、わざと秘密めいた動作をしてそう言った彼は、いたずらっぽく笑った。

 私の胸で、彼と電話をしている時はいつもそうなるように、また音符が一つはじけたような

動悸がした。

 

 「ありがとうございます」

 廊下の行き当たりにあった喫茶コーナーで、紙コップに入ったコーヒーを手渡された私は

お礼を言って受け取った。

 セミナー会場だった会議室の前はまだたくさんの女性たちでごった返していたが、

この喫茶コーナーはウソのようにガランとしていた。

 「ホッと一息ですね」

 そう石津さんが言った。彼もホットコーヒーを口に持っていき、椅子に座るよう私に勧めた。

 私たちは、ちょっとの間黙ってコーヒーをすすった。私はぼんやりと、目の前の石津さんを見る。

まさか、と思っていたことが現実に起こると、人ってぼんやりするものなんだ。そう思う。

 ふいに彼が目を上げ、また目が合った。

 ふふ、と、石津さんが微笑む。

 「こう言っては失礼かもしれないけど、立花さんってどんな女性だろうと、いつも思って

いたんですよ」

 静かな語るような口調で、そう言う。

 「この仕事は、中年以上の女性が頑張ってるじゃないですか。事務員さんも、だいたい

30代40代の女性だったりする。その中で立花さんの声を聞くと、いつもハッとしてたんだ」

 石津さんの喋り方が、だんたんと独り言のようになっていった。

 「疲れた時、立花さんの声を聞いて、結構元気出たりしてた。同じ年代の子が

がんばってんだから、俺もがんばらなきゃな、なんて思ってた」

 「あの・・・・・・、私も。石津さんはお若いのにすごいなと思って。で、1人で親近感もったり

してました」

 私の言葉で、石津さんは顔を上げ、私たちはふふふ、と笑い合った。笑うと、彼は子犬の

ように優しい目になる。

今まで単なる憧れだった彼のことが、だんだんと現実の男性として私の心に迫っていた。

そう思いふと気づくと、 じっと、石津さんが、私の手を見ていた。

 え?と私も自分の左手を見る。中指に、10年前に亡くなった母の形見でもある硝子の

指輪をはめているのだが、彼はどうやらそれを見ていたらしい。

 「・・・・・・立花さん、電話を取る時に、いつもカチリと音がするんですよ。だから、

結婚指輪でもしてあるのかなと思ってたんですが・・・・・・」

 石津さんが小さな声でそう言った。私は慌てて、左手を振った。

 「いえいえ。これは、母親の形見。古臭いですけどね、気に入ってて」

 「古臭くなんかないよ。とっても歴史を感じて、立花さんに似合ってる」

 「・・・・・・ありがとうございます。結婚なんて、まだまだ。相手もいませんから」

 「俺もだ」

 そう笑って、石津さんは私の真似をして、指輪などはめていない左手をひらひらと

振ってみせた。

 

 そのとき、携帯の音が鳴った。石津さんが慌ててポケットから携帯を取り出した。

 「はい石津です。あ、お疲れ様です。いえ、社内にいます。今からですか?はい、

分かりました」

 電話を切って、申し訳なさそうに私に顔を向けた。

 「仕事でしょう?」

 「ええ、セミナーの後片付け」

 笑いながら立ちあがり、彼はすっと私に手を差し出した。

 「これからも、お互い頑張っていきましょう」

 私は頷いて、左手を差し出した。握手をする。石津さんの手は、ごつごつとしていた

けれど、がっしりとしていた。

 5秒ほど、私たちは握手した手を離さなかった。離すのが惜しい。私はそう思った。

 ニコリと私の目を見て笑った石津さんは、小さく頭を下げて廊下を走っていった。

 

 「はい、メークルの立花です」

 「お疲れ様です、石津です」

 「石津さん」

 昨日の彼の顔を瞬時に思い浮かべて、私の胸で特大の音符が音をたてて鳴った。

 「立花さん、昨日はどうも。引き止めてしまって、悪かったかな?」

 「いいえ。楽しかったです」

 今までの電話とは違うこと。それは、石津さんのしゃべる顔を想像しながら話すことが

できる。そして、彼の口調も微妙に今までとは違う。まるで、何かの秘密を2人で共有して

いるかのような、ちょっといけない気持ちが、私を有頂天にさせそうだった。

 途中、電波が途切れたようになったので、携帯電話からかとたずねると、そうだと彼は

答えた。

 「不思議ですね。この前まで、お声だけで立花さんを想像していましたけど、今日からは

話してる顔が目に浮かぶ」

 石津さんが、私が考えていたことと同じことを言った。

 ちょっとお互い言葉が出ずに黙っていたけれど、次の瞬間、電話から彼の声が聞こえた。

珍しく、自信なげな声だった。

 「あの、今度の週末にでも、もしよければ、また会ってもらえませんか?」

 私の返事。それは、彼と初めて電話で話したときから、決まっている。私は自分でも

笑えるぐらい、即答した。

 

     


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