+++ 煙草 +++

 

 「‘煙草を吸う女は嫌いだ’」

 マキははっとして顔を上げた。一瞬にして記憶が甦る。

 「と、彼が言うのよ。どう思う?でも隠れて吸うけどね。」

 目の前にいる蘭が、いたずらっぽく微笑んだ。

 オープンカフェに座る二人。9月の風が、体に心地いい。

 でもマキは、今の蘭が言った言葉のせいで深い深い記憶の底にはまったように

ぼんやりとしてしまっていた。

 

 「あ・・・・・・、そうだった、ゴメン」

 煙草を取り出し火をつけようとして、蘭は思い出したように気まずい顔をした。

 「いいよ、吸って。外だし。普段吸えないんでしょ」

 「いや、やめとくわ」

 マキもそれ以上すすめなかったし、蘭も煙草をバッグに直した。

 

 「煙草を吸う女は嫌いだ」

 セックスの後、椅子に座り煙草を吸うマキを見て、必ず健斗はそういった。

 スリップ1枚のマキは、そういう時は聞こえなかった振りをして煙の向こうから

微笑んで見せる。

 なぜなら、そんな言葉とは裏腹にマキの煙草を吸う仕草を、健斗はとても気に

入っていることをマキは充分知っていたからだ。

 「自分はヘビースモーカーでしょ。しかもPeaceだし」

 「女は吸っては駄目なんだ」

 「偏見ね。男女差別?」

 「俺は古風なんだよ」

 そんな会話を楽しんで、お互い煙をくゆらす。しばらくすると、煙で相手の顔が

はっきり見えない時もあった。

 そんな時、マキは健斗がふっと、遠い目をすることに気がついていた。

 

 健斗が消えてなくなりそうで、彼女は煙草を急いでもみ消し健斗が横になっている

ベッドにもぐりこむ。さっきまでの行為のせいで、すこしムっと汗ばむような空気が

シーツから感じられる。

 健斗の体に擦り寄いながら、マキは彼が吸う煙草の先を見つめた。男が煙草を

吸う横顔って、セクシーで好きだ。

 その視線に気がついた健斗は、無言で煙草をそのままマキの口に持っていく。

 彼女の細い指が白い棒を鮮やかに操る仕草を、健斗は食い入るように見ていた。

 

 「で、いつだったけ?予定日」

 蘭の声で、マキははっと我に返った。

 「あ・・・・・・3月15日」

 「ふうん、15日かあ」

 少し動揺を隠せないまま、マキはアイスカフェ・オレを一気に飲み干した。

 カラン・・・・・・と、氷がやけに大きく音をたてたような気がする。

 

 もう何年も思い出すことがなかった、健斗との日々。懐かしく、愚かな日々。

 彼の半分真面目なような、ふざけているような表情を思い出す。若くて、元気で、

激しかった。そして、ヘビースモーカーだった。

 

 今の私は、煙草はもう吸わない。セックスの後スリップ1枚で歩き回ったりしない。

ほてった体を冷やすために、冷蔵庫に顔を突っ込んだりしない。

 一時の感情を制御できず、相手にぶちまけるクセも影を潜めた。

 

 無理矢理変えたのではなく、自然に変わった。この子の父親が私を変えた。

 

 「じゃあ、柏木さんによろしく」

 そう言って昼休みが終わった蘭が会社に帰っていたため、マキはそのまま一人で

カフェに残った。街行く人の波を眺める。

 健斗の大柄な姿を見つけたような錯覚がして、マキはゆっくり頭を振った。

 風が再び彼女の肩を撫でた。

 

 今はもう、私煙草は吸わないのよ、健斗。

 

     

Background photo by MIYUKI PHOTO.

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