+++  落ちたパフェに罪はない  +++

 

 「あ!」 

 「あ!」

 「あ!」

 「あ?!」

 店内にいた誰もが、その音に驚き声をあげた。足元の床に広がるパフェのクリームや

割れたガラスの破片を、ただ呆然と見下ろし立ち尽くす女性が1人。

 同じように呆然と下を見る、その側のテーブルに座っている男女。

 

 どうしよう、と、口の中で呟き、立ち尽くしたままの瑠奈は、我に返ったように目の前の

テーブルの男女に頭を下げた。

 「すみません。本当にごめんなさい。不注意でした。新しいのを注文させてください」

 土曜日の午後に1人でコーヒーを飲んでいた瑠奈は、ぼんやりと仕事のことや明日何の

映画を見ようかというようなことを考えながら、上の空で店内の通路を歩いていた。

 その結果、彼女の肩に掛けていた大きなバッグがレジ近くに位置するテーブル上

パフェに当たったのである。パフェは、派手な音を立てて床に落下し、元の姿を留め

ないほど無残な様相を呈していた。

 ふきんと箒、塵取りを持った店員が近づいてきた。すみません、ごめんなさい、と

瑠奈は誤り続けながら、一緒にしゃがんでガラスの破片を拾った。なんとドジなのだ、

と自分を呪いながら。

 「怪我しますよ」

 ほとんど店員と同じタイミングでそう言って、テーブルに座っていた男性のほうが

椅子から降りて手伝い始めた。瑠奈にガラス片に触らないよう手で制しながら、

自分は細かい破片を器用に拾っている。

 店員が床についたクリームや転がった苺をすっかりきれいに片付け、ひたすら

謝る瑠奈に感じのよい応対をし去っていった。

 ふう、と、男性が立ち上がって、背の高い身体を今まで折り曲げて下を向いていた

窮屈さから解放された、という風に着ていたスーツを正した。

 「注文など、されなくていいですよ。怪我がなくてよかったですね」

 男性はニコリとそういうと、席に座った。いい人でよかった・・・・・・、と瑠奈は同席の

女性に一瞬目をやって、ぎょっとした。

 この騒動の間、じっと椅子にへばりつくように座っていたその女性が、身をかすかに

震わせながら静かに涙をこぼしていたからだ。

 ああ、どうしよう。瑠奈は戸惑った。何故泣いているのか、理由は分からないけれど、

少なくともパフェが駄目になってしまった、ということもその理由のひとつに含まれる

かもしれない。とんでもないことをしてしまった。

 「あの、ごめんなさい、やはり、新しいのを持ってきてもらいます。お代金は私が

今から一緒に払っておきますので」

 「いや、いいですよ」

 男性はそう苦笑して、瑠奈がなぜそう慌てて言ったのか解した顔をして頷いた。

 「いいんです。気にしないでください」

 そう言うと同時に、目の前の女性にじっと目をやった。

 

 はあ、とため息をつきながら、瑠奈は冬の寒空が広がる街に出た。普段から、時々

集中力が足りない時がある。つい、ぼんやりと考え事をしてしまうのだ。

 まずいことしたなあ。あの女の人、泣いていたなあ。そんなにパフェが食べたかった

のかなあ。それにしても、本当にびっくりしたなあ。そしてあの男の人、優しかったなあ。

 でも・・・・・・、けっこう不思議な光景だったなあ、だって、あの男女はとても大人の

雰囲気の洒落た2人組なのに、パフェをめぐって泣いてるんだもんなあ。それとも、

原因はパフェではないのかもしれないなあ、別れ話かなあ。

 まだ動揺が抜けきらない瑠奈は、まるで幼稚園生並みの感想の羅列を繰り返し

ながら、首をかしげかしげ歩いて行った。

 先ほどの店内では、あの男性が腕組みをして、涙をこぼす目の前の女性を見ていた。

 「おい、パフェぐらいで泣くなよ」

 男性が、苦笑いを浮かべつつため息をついた。その声には、親しみと慈しみが交じって

いる。

 「だって・・・・・・」

 目元をハンカチで押さえた女性は、鼻をすすった。

 「せっかく勇気を出して渡瀬くんに長年の片思いを告白したのに、‘友人としか見る

ことができない’っていう理由でふられちゃって、せめてデザートでも奢るよって言われて、

それで運ばれてきたパフェなのに」

 そこで一息ついて、水を飲む。渡瀬という男性は、頭を掻いた。

 「それがあんな風にこっぱ微塵に壊されちゃったから、何だか悲しくてしょうがなかった

のよ。中学生の時からの想いが今日駄目になったことの象徴みたいで」

 「まあまあ。そう思い詰めるなよ・・・・・・。俺なんかより、美由紀にはもっと似合う男が

現れるから」

 「ひどいこと言うのね。パフェがあんな壊れ方したのもひどかったけど」

 「ごめん」

 渡瀬はきちんと、頭を下げた。そのとき、店員がトレーに新しいフルーツパフェを1つと

コーヒーを2つ、運んできた。

 驚いた顔をした2人に、先ほど瑠奈の失敗の後片付けをしたその若い店員は、

微笑んでテーブルにそれらを置いた。

 「パフェは、当店からのサービスです。全く手をつけられていないようでしたので・・・・・・。

こちらのコーヒーは、先ほどの女性から、お2人へって、お会計の際にお申し付けが

ございましたので」

 しん、と黙ったまま、渡瀬と美由紀は目の前のコーヒーから湯気が立つのを眺めた。

 「かえって悪かったわね。私が泣いていたから、驚いたでしょうにね」

 だいぶん落ち着いてきたのか、美由紀は背筋を伸ばしてハンカチで鼻を押さえた。

 うん・・・・・・、と渡瀬が生返事をしたのを、美由紀はすかさず見逃さなかった。

 「やっぱりね。あの人、渡瀬くんの好きなタイプの女性でしょう」

 「いや、そういうわけでは」 

 図星だったが、そのことが少しでも分かるような態度を取る事は、たった今告白を

断った相手に対してあまりに非情すぎる、と彼なりに考えていたので、慌てて否定した。

 「当たりね。渡瀬くんは昔から、本当のことを言い当てられると首元を触るのよね」

 ぎくりとして、ネクタイを触っていた右手を下におろした。

 「渡瀬くんのことはまかせてよ。なんたって、13年間も片想いだったんだから」

 愉快そうに美由紀がそう言ったので、もう大丈夫だと渡瀬は安心し微笑んだが、

寂しそうに笑う美由紀の目からまた涙が一粒流れたのを見た彼は、本当にごめん、

と深く頭を下げた。

 

 翌週の日曜日、瑠奈はぶらぶらと買い物にでかけた。街を歩けば、寄り添う恋人

同士ばかりが目に付く。寒さが厳しくなってからは、一層だ。

 ああ、ばかばかしい、と強がりながら、瑠奈は通りの少し先に先日の喫茶店が

あることに気が付いた。コーヒーでも飲んで帰るかな、と思い立った彼女は、足早に

入り口へ向かった。

 店内奥の席に座り、暖かさにホっとする。客はまばらで、この前自分が迷惑を

かけた店員は見当たらない。いればお礼でも言うのに・・・・・・、と少し残念に思う。

 注文を聞きにきた店員に、「コーヒーを」と言いかけて瑠奈は3秒ほど考えた。

そして、「チョコレートパフェください」と伝える。

 なぜか、先週の出来事を思うとパフェが食べたくなったのだ。食べながら、反省でも

しようっと。そう自分に言い聞かせて、ふっと肩の力を抜いた。同時に、あの時の男性

の顔が浮かんだ。あの女性と、仲直りできただろうか?

 しばらくしておいしそうなチョコレートパフェが運ばれてき、一心に瑠奈が食べていると

店内のドアが開いて客が1人入ってきた。何気なしに目をやると、なんとあの時の男性が

入ってきたのだ。瑠奈は驚いて、思わず口にしたクリームでむせそうになる。

 男性の方も一瞬驚いた顔をして、少し躊躇したようだが思い切った素振りで近づいて

来た。

 「先日は・・・・・・。コーヒーをどうもありがとうございました」

 「いえ、こちらこそ、大変失礼しました」

 瑠奈は立ち上がって頭を下げた。男性が、瑠奈の席に座ってもよいか、手で示して

聞いた。どうぞ、と平静を装いながら瑠奈は笑顔を返した。

 男性は、瑠奈がパフェを食べているのを見ると、おもしろそうに微笑んだ。

 「今日はお1人なんですね」

 瑠奈は思い切って聞いてみる。自分のせいで、恋人同士の仲が険悪になったのでは

ないですか?という質問を背後に含ませたのだ。この男性のことがもっと知りたいから、

という理由も全くないとは言えないが、何より彼女は純粋にあのパフェ事件では悪い

ことをした、と反省している気持ちから出た言葉だった。

 「ああ、彼女ですか・・・・・・、彼女は昔からの同級生で。パフェのことは、どうぞ気に

しないでください。あなたに何の罪もないですから。むしろ、パフェが落ちてスッキリ

したのかもしれません、彼女には」

 終わりのほうは、まるで自分に言い聞かせているかのような言い方だった。

 そうですか・・・・・・、と、分かったような、でも分からないような瑠奈は、曖昧な返事を

した。

 

 この2人が、お互いの名前と連絡先を交換しあうのに、それほど時間はかからなかった。

 瑠奈はパフェを食べることも忘れ渡瀬との会話に没頭していたので、渡瀬はそんな

瑠奈をかわいらしいと思い、「どうぞ食べてください」と笑いながら促した。

 

  

Background photo by Take Five.

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