+++ 往復書簡 +++

 

 「前略 こんにちは。お元気でしょうか。

 この時期、こちらではまだ残暑が厳しいのです。従って、美穂さんが前回のお手紙

で書かれたように、クーラーをつけずに過ごす、ということは私にはまだ無理なようです。

 そちらの館は、夏休みの利用はどうでしょうか。もう8月も残り少なくなっていますが。

 私の所では、もちろん大学の図書室ということもあってそれほどではありません。学生

が研究のために参考文献を探しに来る程度です。

 あなたのところは公共図書館だから、想像を絶するものがありそうですが・・・・・・ 

 明日は会議があります。では、毎回短くて申し訳ないのですが、今回はここまでで・・・・・・

 ご自愛ください。                                   草々

                                  平成14年8月20日  小早川 」

 

 「拝啓 小早川さん

 お元気でいらっしゃいますか?毎日、暑くてイヤになってしまいます。もう9月に入ったという

のに、この残暑!やはり前言撤回で、クーラーなしではまだ過ごせない毎日です。

 怒涛の夏休みが終りました。おっしゃるとおり、すさまじいものがありました。小学生、

中学生、高校生。うるさくて本が読めない苦情を言ってくるお年寄り。めちゃくちゃになった

書架の片付け。何しろ利用利率が2倍に跳ね上がる夏休みですから。

 でも、もう3年目になりましたので、慣れました。体力もついたのでしょうか・・・・・・。

 今懐かしく思い出します、柳先生に教えていただいていた頃を。「地域においての公共図書館」

について先生は新しい考えをもっていらっしゃいました。閉架をなくして、できるだけオープンに。

市民の税金を使っていることの認識。今その公共図書館で働く中で、つくづく先生の持論を

思いだします。当時は「そんなサービスがいい図書館って、本当に図書館なのか?」と思って

いましたが、それは違う、と・・・・・・。

 今同時に、柳先生が講義中、「私の優秀な教え子の1人で小早川という男がいて」という、

お決まりのセリフを懐かしく思い出します。

 またダラダラと書いてしまいました。ごめんなさい。

 どうぞ、お体にはお気をつけてくださいませ。                    敬具  

                                     2002.9.1  川辺美穂 」

 

「前略 先日美穂さんからお手紙をいただいてまだ1週間ほどですが、またこうやってお返事

を書いています。筆不精を認識する私ですが、なぜかあなたには不精は出てきません。

(ただ言葉がうまく表現できないタイプですので、お手紙は毎回短いですが・・・・・・)

 公共図書館においてのサービス。あなたが書かれていたことですが、柳先生は研究者には

珍しく、現場で叩き上げられてきた期間が長いのでそういった新しい考えができたのではない

か、と思います。先生は今でも、たまに校舎内でお見かけすることがありますが、お元気そう

ですよ。

 さて、私のいる図書室は、あなたとは全く違った位置にある。いわゆる「閉ざされた」図書館

です。対象者は学生か関係者という、限られた一部の人々のみ。おのずから、揃える書籍

も偏ったものになりがちです。先日の会議で、私は一般図書をもう少し増やすよう提案を出し

ました。(お偉方には少し意外な意見だったようですが)

 秋の香りがする日が多いくなりました。あなたのいらっしゃる四国は、まだそこまで肌寒く

ないでしょうね。では、また。ご自愛ください。                     草々

                                 平成14年9月9日    小早川 」

 

 「拝啓 小早川さん、先日はまたお手紙ありがとうございました。ええ、ここはまだ爽やかな

秋の風が吹くぐらいです。読書の秋、ですね。秋の夜長に読書、と言いますが、今小早川

さんにお手紙を書いているこの夜長が、とても私にとって心地よいものとなっています。

 確かに、私のところと小早川さんのいらっしゃる、大学の図書室は、全く主旨の違うもの

ですね。

 私は最近、ふと恐ろしくなる時があります。だって、私が座っているカウンターの前には、

どんな人間でも無制限に立つことができるんだ、ということ。入口でチェックがあるわけでも

なく、開かれた門戸が広すぎるためにたとえ危険人物でもこの館には入ることができるという

事実です。先日同僚と話していて、妙に恐ろしくなりました。

 ご心配なく、別に変な人が来た、という訳ではないのです、ただ、公共図書館のモラル

について熱い論議をその同僚と交わしていただけですから。

 そういうことを考えると、小早川さんの所は安全です。いわば顔見知りの、常連さんたちに

より質の高い研究対象書籍を与えるわけですから、「閉ざされて」いても、問題はないのでは

と思います。

 ただ・・・・・・。膨大な専門書を、市民の皆さんが全く利用できない、というのは、宝の持ち

腐れ、という気がしないでもないですね。

 また長くなってしまいました。いつもごめんなさい。では、どうぞお風邪など引かれません

ように。お祈りしております。                             敬具

                                    2002.9.25  川辺美穂  」

 

 「前略 美穂さん、ご無沙汰してしまいました。お変わりございませんか。

前回のお手紙、興味深く読ませていただきました。3年前、柳先生の研究室で初めてあなたと

お会いした時に見た、力強い‘生きた’眼をしていた美穂さんを思い出しました。

 思えば、あの一瞬だけしかお会いしていないのに、こうやってお手紙をかわすことができる

ということは、私にとっても嬉しいことです。

 さて、実は美穂さんのお言葉を私なりによく考えました。そして、私も以前から思っていたこと

でもある、「一般市民への開放」を、実現に向けて計画していこう、と思い立ちました。

 何度か会議で色々と大変でしたが、なんとか先が見えそうです。柳先生のご協力も私にとって

大きな後押しでした。

 新しい大学図書室への一歩を、あたなのおかげで踏み出せそうです。

 心からお礼を言います。どうもありがとう。

 では、どうぞご自愛されてください。                             草々

                                  平成14年10月20日  小早川 」

 

 「拝啓 すっかり風が冷たくなりました。お元気でしょうか?

 小早川さんのご提案、とても素晴らしいことだと思います。そしてそれを実行に移すあなたの

強い精神力こそが、柳先生がいつもおっしゃっていた‘小早川という若者’の姿そのものです。

私のほうこそ、お会いしたのはほんの一瞬でしたが想像したとおりの小早川さんのお姿に

胸を躍らせたあの研究室での午後を思い出しました。あなたの目こそ、力強い光に溢れて

いらっしゃったではありませんか。私など、比ではありません。

 それにしても、楽しみですね、市民の皆さんが大学の図書室を自由に閲覧できるなんて。

それこそ、公共図書館との相互貸借なんてできたら、本当にすばらしいことですね。

 それから・・・・・・。先日、柳先生からお手紙をいただきました。こちらの図書館の近くで(愛媛

情報センターにおいて)大学図書館関係の会合があるとのこと。小早川さんも一緒にいらっしゃ

るとお聞きしました。

 もしかして、お会いできるのかな、と今から期待でいっぱいですが・・・・・・。

 では、どうぞ、新しい取り組み、がんばってください。応援しております。       敬具

                                    2002.10.31  川辺美穂   」

 

 それからしばらく、小早川からの手紙は来なかった。美穂は、図書館学の恩師である柳から

の手紙に書いてあった会合の日にち、11月22日があと2週間に迫っているのを、カレンダーを

見てため息をついた。

 小早川は、美穂にとって司書としての憧れの存在だった。日本でも著名な図書館学の研究者、

柳太一郎が褒めるのだから、その時点で小早川への畏敬の念は相当の物だった。

 そして、ほんの何秒かだけ、柳の研究室ですれ違った小早川本人。思ったより若く(美穂

より4歳ほど上と聞く)健康的で、知的だった。

 その時、階下で電話がなり、母親が受話器をとった。しばらくして、「美穂!」と大声で彼女

を呼び声がし、物思いから覚めた美穂は階段に姿をあらわした。

 「電話よ。小早川さんという男の人」

 「はい、お電話変わりました」

 階段から転げ落ちるように降りてきた美穂は、咳払いをし、震える手で保留のボタンを解除

にした。

 「美穂さんですか?小早川です。」

 低い、けれど落ち着いた優しい声が聞こえた。小早川の声を聞くのは、全く初めてだったが、

手紙のやり取りのおかげで、そこまで違和感はなかった。

 お互い挨拶を交わす。そして、今までの手紙のお礼を美穂は言った。こちらこそ、と小早川。

 「2週間後ですが、僕もそちらに行くのですが・・・・・・。よかったら、お会いしませんか」

 美穂は心臓が飛び出そうな胸をグっとつかんで、かろうじて返事をした。ぜひ、と。

 「会合が終るのは午後4時頃になりそうですが、それからでもいいです?」

 ちっともかまいません。美穂の震える声に、小早川は受話器の向こうでふと微笑んだ。

 「あの、会合が終ってのその時は、柳先生もいらっしゃるのですか?」

 「いえ、先生は・・・・・・。僕と2人では駄目でしょうか」

 小早川は、少し微笑んだままの口調で優しく言った。美穂はまだ震える手で小早川の携帯

番号をメモに書きとめ、自分の番号も伝えた。

 「では。楽しみにしています。」

 「私も、楽しみです」

 美穂が電話を切ろうとした時に、小早川が急いで付け加えた。

 「あなたとの手紙のやりとり、僕にとってかけがえのないものです」

 受話器を置く彼女の手に、目から流れた涙がポタリと落ちた。嬉し泣きなのか、動揺泣きなのか。

ただ言えることは、生涯感じたことのないほど、美穂の胸は暖かい気持ちに包まれていた。

 

     


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