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-撃たれる・6-

 

 雨だというのに、中には5人以上は人がいた。皆、コートを手に持った会社帰りのサラリーマンや、

OL風だった。静かに、勤務帰りを過ごしている、そういった落ちついた空気が、辺りを包んだ。

 赤野の写真は、以前彼の部屋の壁に貼られているのを見たことがある。

 彼は主に、風景を撮るようだ。日本であったり、外国であったり。そしてほとんどが、モノクロだ。

 コツ、コツと自分が歩く音が響くほどの静寂の中で、優妃は赤野の写真に吸いこまれるようにして

進んでいった。

 ファインダーを通して、彼がどういう気持ちでそれぞれを撮っていったのか。

 その感覚が、まるで手に取るように優妃には分かった。分かる自分を不思議だとは思わなかった

のだ。

 行き当たりの空間にたどりついた。ここから折り返し、というふうに、またパネルが出口まで続いている。

 しかし優妃は、その行き当たりの壁面の前に立ったとき、エレベーターで地上120階から地下120階まで

急降下したような下落を感じた。

 

 そこには、優妃がいた。

 今までモノクロだった赤野の写真が、その1枚だけ鮮やかな天然色のカラーだった。

 赤野に空港近くまで連れていってもらったとき、類が乗った飛び立つ飛行機を見上げた、その瞬間

の優妃。

 口元には微笑みが広がり、伸び上がって天を仰いでいる彼女の横顔は、太陽の光の関係で眩しい

くらい光っている。

 風に揺れる長い髪が、空の青さに印象的に見える。

 明らかに、今までの無機質な彼の作品とは違うと、誰もが感じることができるだろう。そこには、彼女への

気持ちが痛いほど込められていた。

 

 優妃は、息ができなかった。やっぱり、撃たれた。今、この瞬間に撃たれた。

 赤野の顔を見て始まるだろうと思っていた銃撃は、その直前に自分を写した彼の写真によって遂行

されたようだった。

 「こんばんは。」

 声がした方を、もはや優妃は力なく振り向いた。そこには、黒いスーツを着た赤野が立っていた。

赤野は、ちょっと微笑んで、優妃と壁面の優妃の写真を交互に見た。

 「雨なのに、悪かったね。」

 何も言わず、驚いたような顔で自分を見る優妃を、彼はじっと穴が開くほど見た。

 「・・・・・・無断であなたの写真を使ったこと、怒っているだろうか」

 そうつぶやきポケットに両手を突っ込んだ赤野は、優妃の隣りに並んだ。そして、優妃の写真を凝視する。

 その真剣な目を、隣りに並んだ優妃は盗み見た。茶色の目が、室内の照明のせいで少し黒く見える。

 優妃の視線を感じたのか、ふと横を向いた赤野は、優妃と目が合って少しとまどっている。そして、もう1度

写真を見て、優妃を見た。

 「実物の方が、俺はいい」

 その声に、優妃は身体がグラリと揺れる感覚を覚えた。

 

 恋に落ちる、とはよく出来た言葉だと、彼女は思う。まさに、恋とは落ちるもの。その瞬間は、ストンとどこか

深い穴に落ちこむような感覚なのだろうと、彼女は理解している。

 けれど、赤野に対しては、恋に落ちるなんてなまやさしいものではない、と、優妃はあの夏の日、まさにこの

写真を撮ってくれた日からずっと、予想していた。

 

 恋に撃たれる。赤野に、撃ち殺される。

  

 その予想通り、優妃は今、目の前の赤野から撃たれ、そこから愛し始めた。

                                                  −撃たれる・おわりー

      


Background photo by  RainRain

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