<<< 喫茶店 毬藻 >>>

 -再生・4-

 

 ぼんやりと、頭上の雲を見つめていると不思議な気持ちになる。驚くほどの早さで、雲は動いている。

本当は地球が回っているのだけれど、優妃にはただ目の前を雲が動いているように見えた。

 そしてその雲は、微妙に形を変える。近くの塊とくっついたり、また離れたり。まるで、再生している

かのようだった。

 再生・・・・・・。優妃は小さく呟いた。

 夏休みの競技場は、練習する学生の声以外何も聞こえない、静かだけれど爽やかな風が吹いている。

優妃が助手をしている短距離走のメンバーは、今中休みで木陰で水分を補給している。他の種目の学生

たちも休憩に入ったようだ。

 「桜木さんのこと聞いた?」

 その声に驚いて身体を起こすと、赤野が優妃の寝そべっていた背後にいつのまにか立っていた。

 「赤野さん」

 カメラの入った大きな黒いバッグを下に置いて、赤野も優妃の横に座った。大きな木の木陰は、驚くほど

涼しかった。座って5秒ほど前を見ていた赤野は、ふと優妃の方を見た。その表情に、優妃は胸が急に

早く鼓動を打ち始めたことを意識した。ほとんど毎日会っているのに、こうやって見られるだけで鼓動が

早くなる。

 「仕事の途中です?」

 「うん。寄ってみた。休憩中?」

 「そうです」

 「いつも思ってたんだけど・・・・・・」

 「何?」

 「ジャージ、似合うね」

 しばらく声を押さえて笑い合った2人だが、ふと優妃は先ほどの赤野の言葉を思い出した。

 「桜木さんって、毬藻店長がどうかしたんですか?」

 ここ1ヶ月ぐらい、喫茶店毬藻に顔を出していないな、ということも思いながら優妃は聞いた。ああ、と赤野は

頷いた。

 「桜木仁の方だ。仕事の知り合いから聞いたんだけど、来月から日本に活動の拠点を戻すらしいんだ」

 「帰ってくるんですか」

 「ただ、桜木さんのところに戻るかどうかは、俺には分からないけどね。夫婦の問題は、他人には一概に

分からないよ」

 優妃は押し黙って夏の陽射しが照りつけるトラックを見据えた。そんな優妃の真剣な横顔を、赤野もじっと

見ていた。

 やがて、ポツリと優妃が声に出した。

 「私、桜木仁は毬藻店長の所の戻ってくると思う。逆に、毬藻店長が桜木仁のもとに戻るっていうほうが、

正しいのかもしれない」

 赤野は、優妃の言葉に前を向いた。こうやって彼女は、人と人との絆を信じて生きている。この信じる力が、

彼女の全てなのかもしれない。そんなことを思い、優妃の存在自体に感謝した。

 ふと、優妃は今度はきちんと赤野の方を向いた。赤野もつられて優妃の顔を再度見る。

 「きっと、そうに違いない」

 少し呼吸を置いた。そして、優妃は続けた。

 「なぜって、人は日々再生しながら生きてるから・・・・・・」

 赤野はそんな優妃をじっと見ていたが、やがて、‘そうだな’と口にし、微笑んだ。

 

 「じゃあそろそろ行くよ。がんばって」

 しばらく黙って見詰め合っていた2人だが、赤野の言葉でその空間はたち切られた。立ち上がり際に彼は

優妃の耳元で、また今夜、と囁いた。

 監督が校舎から出てきたのを確認し、優妃は休んでいる学生に、元気よく練習再開の声をかけた。

 その後しばらく、赤野との様子を見ていた学生から質問攻めにされるとは少しも知らずに。

 

 人は日々再生しながら生きている。再び生き返りながら、再び失われたものを一から築き上げながら生きている。

その言葉は、優妃自身を表した。または、赤野自身を。毬藻自身を。

 全ての人間に対して、そう思える優妃が、今はここにいた。

 

                                                −‘喫茶店毬藻’・完−

     


Background photo by  ubazakurahonpo

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