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−フデバコ・4−

 

 4月ももう終わりに近い。少し肌寒い日が、徐々に少なくなっている。逆に汗ばむ陽気が続く。

 「春だ」

 空を見上げて、優妃はゆっくり瞬きした。冬は気候が暗いから、つい沈んでしまうけど、何もかも明るい

春になるときっといいことがある、そう今の優妃には思えてならない。人の感情と季節は、密接に関係して

いるように思えるのだ。しかし店へ続く道沿いにたくさん植えられている桜は、ほとんど散りかけていて、

若葉が芽吹く初夏へと準備をしているようだった。

 店のお使いで、商店街まで果物を買いに行った帰り道、道の前を歩く小さな人影が見えた。

 「いっくん!」

 「あー、お姉ちゃん」

 毬藻店長の一人息子、いっくんが、ランドセルに目深な帽子、と、いつもの格好で振り向いた。

 「学校終わったの?」

 「うん!お母さんところに行くの。お姉ちゃんはどこに行ってたの?」

 「お買い物よ」

 優妃はこのいっくんが大好きだ。今月小学校に上がったばかりで、何もかも少し大きめの持ち物。それが

とても愛らしい。まだ少年の生意気な面もないし、一番かわいい時期かもしれない。

 いっくんの頭に手を乗せて、今日学校であったことなど楽しくおしゃべりしてた優妃は、向こうから大柄な

男性が歩いてくるのに目を止めた。

 その男性は、春なのに革のロングコートを着て、黒のハイネック、黒の革パンツと黒尽くめ。しかしそれが

おかしくなく、ひどく雰囲気にマッチしてどこか異国の男のようなオーラを出していた。こちらを見るとはなし

に近づいてきたその男は、少し伸び放題になっている髪の毛を風に揺らしていた。

 すれ違いざまに、その男が優妃といっくんをじっと見た。優妃は始めは無視をしていたが、10mぐらい歩い

た所で気になってちらっと振りかえると、男がポケットに手を突っ込んでじっとこちらを見ていた。

 何だろう・・・?私のことを知っているのかな。でも見覚えがない。

 頭をかしげながら店につき、ドアを開けると毬藻店長の姿がなかった。

 「おかあさーん」

 いっくんの声に、店長は少し慌てた様子で手洗いから出てきた。その顔を見て、優妃はハッとした。毬藻

店長の白い顔が、目元だけ赤くなっている。頬も赤い。泣いていたのだろうか?

 「あ・・・」

 優妃は、先ほどの男のことを思い出した。そうだったのか、あれはもしかしたら・・・。

 バシャン、と、大きな音がしたので我に返った優妃は、いっくんがランドセルからフデバコを落としてしまった

ことに気がついた。

 「あーあ、落としちゃった」

 いっくんがそう言って、転がった中身を拾い集める。優妃もかがんで手伝おうとした。あれ、と声をあげる。

 「いっくん、色鉛筆がいっぱいだね?今日お絵描きの授業でもあったの?」

 「ううん。違うよ。僕いつもフデバコに色鉛筆入れてるんだ。やっくんとかよしくんは、おかしいって言うけど」

 「どうして入れてるの?」

 見ると、かなりの種類の色が揃っている。毬藻店長も、初めて見たような驚きの顔で、しゃがんで拾ういっくんの

手元を見ている。

 「僕絵が好きなんだ。小学校にあがってから、お母さんがおこづかいを土曜日にくれるんだけど、それで1本ず

つ山本ぶんぼうぐやさんで買ってるの。」

 「・・・・・・いっくん、絵が好きなの」

 「うん、書くの楽しい。このフデバコは、僕の宝物フデバコなんだ。」

 優妃の体に、脱力をともなう変な感動が襲った。やはり、父親の血を受け継いでいるのだ。

 毬藻店長の顔を見上げると、なんとも複雑な表情でぼんやりといっくんを見ていた。

 しかし、その唇に少し微笑みが広がった。ゆっくりと、頬を涙がつたう。そして、いっくんを呼んだ。

 「いっくん、ちょっとおいで」

 カウンターに座ったいっくんの前に、店長は大きな紙袋を取り出した。中身は、スケッチブックや水彩絵の具の

セット、全色揃った色エンピツ、消しゴム、美しい色彩で書かれた外国の絵本が3冊。

 「・・・・・・!」

 いっくんは、言葉にならないほど嬉しいらしく、目をキラキラさせてそっとそれらを触っている。

 優妃が毬藻店長の方を見ると、寂しそうな微笑を浮かべる彼女がいた。優妃はどう言っていいのか分からず、

ただ毬藻店長の気持ちを考えて目に涙が浮かびそうになるのをこらえていた。

 「うわあ、これどうしたの?」

 やっといっくんが感動の声を出す。毬藻店長は、いっくんの頭を撫でながら言った。

 「いっくんへあげてくださいって、お母さんのお友達が持ってきてくれたのよ。でもその人はすぐに外国に帰ら

なくちゃならないから、いっくんへよろしく伝えてくださいって言ってた。」

 

 カウンターのテーブルに、黒い小さな影がチラチラと映った。優妃が振り向くと、店の道路沿いに咲く桜の花が

散る様子を、午後の日差しが店内に反映させていた。

 いっくんが手にしたスケッチブックの白い表紙にも、ぱらぱらと散る花びらの影が映っている。 

 優妃も毬藻店長も、その影を放心したように見つめていた。

                                                −フデバコ・終わり−

      


Background photo by  sorairo no chizu

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