+++ 帰省   +++

 

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 結城初音は、福岡市の街中にある女子高を卒業した後、1人で東京に出て

きた。彼女の夢は、モデル。もともとファッションが好きで、彼女の母親は

服飾デザインの専門学校に行くよう彼女を説得したが、やはりたくさんの

洋服を着ることができて華やかな世界に身を投じてみたい、という幼いころ

からの彼女の夢は、固かった。

 一度はそういった事務所に入ったものの、身長も170cmそこそこ、外見も

標準、スタイルも標準だった初音には仕事がなかった。

 過去1度だけ、ファッション雑誌で腕時計の特集が組まれたときに、腕のみ

の雑誌デビューを飾った。その1度のみ。

 仕事がなければ生活していくことができない。けれど彼女は、福岡に帰る

ことはなかった。まだ、この東京に‘残って’みたかった。

 ‘残って’いれば、いつか必ず報われるのではないか。残らずに報われる

はずはない。無口な初音は、内に秘めた意外なまでのハングリー精神で、

もくもくとバイトをし続けた。

 東京に出てきて2年がたった時、初音は、働く女性のための趣味のいい

洋服や雑貨を扱ったセレクトショップでバイトをしていた。そこの同僚が、

いいコンパがあるから、と、乗り気のしない初音を半ば強引に引っ張って

食事に連れて行った。女性が5人。男性が5人。そういう場が本当に好き

ではなかった初音は、端のほうでもくもくとカクテルを飲んでいた。そして、

目の前に同じようにもくもくとビールを飲む男性がいることに気がついた。

それが、古瀬だった。

 「なんだかこういう場は苦手で・・・・・・」

 初音と全く同じことを言うその男性は、まだ青年の影が残る爽やかな感じを

初音に与えた。

 賑やかな店内で、2人はポツリ、ポツリと取り留めのない会話を楽しんだ。

そして、郷里が同じ福岡市だということが判明する。

 「本当ですか?すごい偶然ですね」

 「偶然だね。高校も、近いね」

 ほとんど隣り合わせの女子高と男子高に通っていたことも判明した。学年こそ

違うが、あの道路で、あのトンネルですれ違ったかもしれない。山笠でも、すれ違って

いたかもしれない。故郷を意識して忘れるようにしていた初音は、新鮮な懐かしさ

が胸を込み上げてくるのを感じていた。

 帰りしな、街のネオンが賑やかな通りに立ちすくみ、独り言のように初音はつぶやいた。

 「久しぶりに、福岡の言葉でしゃべりたいな」

 2次会の会場をどこにするか、賑やかに決めている友人たちと少し離れて立って

いた古瀬は、同じく‘どの男性が気に入ったか’と報告しあう女性たちと離れて立って

いた初音の呟きを聞き逃さなかった。彼は少し考えたあと、コートのポケットに手を

突っ込んで初音の前に立った。

 「俺の友達で、おもしろい奴がおるんよ。そいつ、常に博多弁っちゃが。今度、

そいつも一緒に飲みに行かん?」

 最後の最後に、古瀬は方言でしゃべった。彼のように爽やかでいかにも都会の

男性、という感じの人が博多の言葉を口にする、その意外さと嬉しさに、初音は

心臓が大きく波打つのを感じた。

 

 ぼんやりと、斜め前で高崎と何やらおもしろおかしく喋っている古瀬を見ながら、

初音は彼との初対面をそんな風に思い出した。あの1週間後ぐらいに高崎を含めた

3人での飲み会をしたが、もちろん抱腹絶倒の楽しさだった。そして、古瀬が方言を

含めた故郷’にとても愛着を持っていることも、好ましく感じられた。

 彼は東京の風に染まらず、常に自分の原点は福岡だと語った。

 高崎との会話の途中にチラと古瀬の視線が初音に止まった。思わず初音は、

目をそらしてうつむいてしまった。手元の小皿に入ってる唐揚げをつつく。

 そう、彼女は古瀬のことが好きだった。好き・・・・・・という言葉は、とても幼く聞こえる

が、初音は古瀬のことを知れば知るほど、人間として好きになり、それを超えて恋を

していた。それも、かなり胸が締め付けられるほどの切なさを伴う、本気の恋だった。

 

 古瀬と高崎、初音の3人から始まった会合は、友人が友人を呼び毎回大盛況で

今年で3年になるが、この3年間で1度だけ、初音と古瀬との間に何か変化が起き

そうな時があった。

 初音は今でも、あの雰囲気を思い出す。珍しく2人だけで食事をした、あの店内で、

エアポケットに入ったような沈黙と見つめあいが存在した。あと1歩、初音が勇気を

出してそこで気持ちを打ち明けるなりしていれば、今の2人の関係はもっと変わって

いただろうと彼女は後悔している。

 その時は、結局どちらともなく視線を下にずらし、何事も起きなかった。同時に

古瀬の携帯電話が鳴り、彼の後輩であろう相手と仕事のことで話し終わった

時点で、空気は元のように‘同郷の友達同士の楽しい食事’になってしまって

いた。

 

 「俺ら、今年で20代最後げな?やけん、大晦日は匠、予定空けとかんと

いかんばい」

 「なんで?」

 「なんでて、分かっとろうもん。20代最後を、飲んで騒いで過ごすったい」

 「あ、悪い、俺帰るっちゃん」

 「へ?帰省するとね?」

 そんな高崎と古瀬の会話が、初音の意識を現在に戻した。古瀬さん、今年は帰省

するんだ・・・・・・、と、初音は思う。実は私も6年ぶりに帰るんだ。と、1人心の中で

呟いてみる。

 「親父が、定年退職して初めて迎える正月やけん、絶対家族揃わんといけん

らしい。母親からうるさく電話で言われた」

 「古瀬さん、帰省するんですか?」

 間髪いれずに、古瀬の隣にいた友成が身を乗り出して聞いてきた。うん、

と古瀬が言うと、友成は‘そうなんですか’、と両手をあわせ口に持っていき、

テーブルに両肘をついた。少し考えるような風で、そしてこう言った。

 「私も今年は小倉に帰ろうかな。古瀬さん、飛行機ご一緒しません?」

 

  

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