+++ 愛しの25センチ   +++

 

 私の足のサイズは、25センチなんです。

 背が、幼い頃から高いほうで、横の体格もどちらかというと良いほうでした。

いわゆる、健康優良児。

 そんな私の身体を支えるために、どんどんと大きく幅広くなっていった足。

中学生の時に思い切ってダイエットをした結果、体重が大きく減り、私は‘大柄な’

から‘縦に細い’スタイルに変わりましたが、そうそう変わらないのが足なんですね。

25センチのまま、今に至ります。

 10代の後半から、つい先日まではこの足のサイズが恥かしくてたまらなかった。

履きたいと思うようなかわいい流行りの靴は、よくあって24.5センチまで。

 お店でも、通信販売でも25センチの靴を探すのは至難の技です。

 1度、こういうことがありました。19歳の夏でした。街に出かけ、大きなデパート

の靴売り場で一目ぼれをした赤いミュールが欲しくて欲しくて。

 思いきって店員さんに声をかけ、過去何度恥かしい思いをしながら聞いた

か思い出せないほどのこのセリフを言いました。

 ‘この靴の、25センチはありませんか?’

 その若い男の店員さんの、次の瞬間の表情・・・・・・、今でも忘れません。

「は?」という非常に驚いた顔で私を見上げ、そして視線を足元に下げ、また

上に上げました。ジロジロと、見られたんです。

 ‘エエ・・・・・・、そうですね、こちらのタイプは24センチまでしか取り扱って

いませんが。25センチ以上のサイズでしたら、こちらにコーナーがあります’

 靴売り場の奥のはしっこに案内されるときも、その男性店員は含み笑いの

ような表情を浮かべ、ついていく私はまるで悪いことでもして叱られに行くよう

なそんな罪人の気分でした。

 つれていかれた所は「クィーンサイズ」と書かれた棚で、年配の方が履くような

少し古い感じのデザインばかり。私は顔から火が出る思いで、足早にその場を

去りました。

 それ以来、大きなデパートの靴売り場に近寄ることができなくなりました。

 街の小さな小売店なんてもってのほか。

 

 そんな私にも、行き付けの靴店ができたのはつい最近のことでした。 

 近所の商店街に、それこそ私が小学生ぐらいのころからある老舗の靴屋さんが

先日改装してリニューアルオープンしたのですが、その店舗の入口に‘S&L

コーナー充実しています’とPOP手書きがあることを私は見逃しませんでした。

 そこで、休日の午後に思いきって寄って見ました。

 明るい店内はおしゃれで、どちらかというと若い女性好みになっています。

 「いらっしゃいませ」

 私が足を踏み入れると、奥から若い男性店員が声をかけてきました。ふと以前

デパートで味わった嫌な気持ちを思いだし踵を返して帰ろうかという衝動に

駆られましたが、その彼が余りに笑顔でしたので、帰るに帰れないまま私は

思いなおすことにしました。

 そして、驚きました。店内の半分以上を占める、S&Lコーナー。Sサイズは

21センチから23センチまで、Lサイズは25センチから27センチまで。しかも、年配用

といったデザインではなく女性に人気のあるブランドの靴ばかりなのです。

 普段憧れるブランドの25センチが、店員さんに聞かなくても目の前に揃っている。

 こんなにも‘よりどりみどり’状態は生まれて初めての経験だった私は、余りのことに

眩暈がしてその場に倒れそうなほど興奮してしまいました。非常な興奮です。

 そして、以前欲しくてもなかった赤のミュールが、私の目の高さに飾られているでは

ありませんか。これ、欲しかったんだ・・・・・・。そう呟いた私の声が聞こえたのか聞こえ

なかったのか分かりませんが、男性店員が背後に近づいてきました。

 「どうぞ、お好きなものがあれば履いてみてください」

 そしてまた、すっと離れていきました。ずっと側にいられるのも‘足の大きさを笑わ

れるのではないか’という怯えを感じずにはいられない私には、とても心地よい

距離感を彼は保ってくれていました。

 赤のミュールはもちろん、色んな靴を試し履きしました。

 嬉しい!嬉しい!嬉しい!私は所構わず、そう叫び出したい欲求に駆られて、

それを押さえるのが大変です。

 5足目に試し履きしていた靴の留め金がなかなかうまく止まらない時、男性店員

さんが来てくれました。失礼します、と言って私の足元に跪き、パチンと上手に

止めてくれました。

 「こんなに25センチの靴が揃っているなんて、初めて見ました。」

 興奮からからいつもより饒舌になっている私は、足元を鏡に映しながら背後の彼に

話しかけました。ニッコリと笑った彼は、こう言いました。

 「今は25センチなんて、当り前ですよ。特にお客さまぐらい背が高い方は、25センチ

はないとバランスがおかしいですから。よくお似合いです」

 その彼の言葉を聞いた瞬間、私の足に対する長い間のコンプレックスは、氷解

しました。まさに、氷が溶けた記念すべき瞬間だったのです。体に巻きつけていた

鎖がフっと取れた、そういう感じでもあります。

 丁寧な手つきで私の足元から先ほどの靴を脱がせてくれながら、彼はしんみりと

した声で言いました。

 「私からしてみれば、人の足はサイズではないんです。やっぱり、足の形です。

どうしても、形を見てしまいますね、外反母趾ではないか、土踏まずはきちんと

あるか、など。お客さまはスっとした、とても美しい足の形をしていらっしゃいます」

 客商売ですから、どのお客さんにたいしても褒め言葉を言うというのは分かり

きっていますが、その時の私には男性店員さんの優しい心遣いが本当に胸に

きました。浮かんできそうな涙を押し戻して、私は脱がされるままぼんやりと足元を

見ていました。

 硬くて高かった私のコンプレックスは、溶けてそのまま海に流れ着いて、消えて

無くなってしまいました。

 

 「九州靴店連盟、ね・・・・・・。しかし色んな連盟がありますな」

 貸し会議場を管理する会社の事務職員であるその女性は、教室に掛ける

プレートの交換をして周りながらまだ会議中である12番教室の前で立ち止まった。

 彼女の職業柄たくさんの会合を見て来たが、改めて、世の中には様々な職種と

会合が存在することを思い、ふうん、と感心しながらその場を去った。

 その12番教室の中では、今まさにとある女性からの投稿が会長によって読み上げ

られたばかりで、誰もがしんみりと感動して頷きあっていた。

 九州靴店連盟は、靴の小売店店長たちで構成されているのだが、今年に入って

「街の靴屋さんと私」というエッセイを全国に募った。もちろんこの企画の狙いは、

小売店活性化にある。

 15人ばかりがコの字にされた机に座り、100通以上応募があったエッセイの審査を

午前中から開始していたのだが、「いいのがあるぞ」と会長が声にして読み始めた

文章に、誰もが聞き入っていたのである。

 「こういうお客さまにのために、我々は在りたいですねえ」

 壮年の会長がそう言ってコーヒーを飲んだ。他のメンバーも、手もとのコーヒーや

お菓子を手に取り、少し雑談の輪が広がった。

 「そういえば、お前の店も最近S&Lコーナーを増設したって言ってたよな・・・・・・」

 そんな中、後ろのほうに座っている若い男性が、隣りに座る同じく若い男性に声を

掛けたが、彼の顔を見た瞬間黙りこくってしまった。その彼は、首まで真っ赤だった

からだ。

 黙りこくった、最初に声を掛けた方は唇だけで‘まさか・・・・・・’と呟いた。

 「おお、まだ続きがあった」

 雑談の声を振り払うように、会長が手を振った。同時にその女性からの投稿用紙を

上に挙げた。すぐに場がシンとなる。

 

 世の中には、足のサイズで悩んでいる人はたくさんいると思います。足の大きい人、

小さすぎる人、幅の広い人、狭い人、甲の高い人。

 街の靴屋さんは、そんな人たちのよき相談相手のような存在でいて欲しいと思います。

 最後に、私に‘勇気を持って歩く’自信をくれたT靴店のT店長。本当にありがとう

ございました。

 心から感謝しています。

 

 T靴店・・・・・・、田口靴店・・・・・・ブツブツと呟いている隣りの席の店主仲間である

守田を軽く無視しつつ、田口靴店の店長、田口壮太はまだ首まで真っ赤にしていた。

 凛子の茶目っ気のある笑顔と、彼女の白い足に良く似合う赤いミュールを同時に

思い出す。

 と、ポケットの携帯がブルブルと振るえて、メールの着信を知らせた。

 「今まだ会議中?どう、私の作品、分かった?内緒で応募してみました。もし、壮太さん

の手元にあったらそっとボツにしといてね、やっぱり恥かしいから。では、お疲れさま。

私も仕事に戻ります」

 凛子、もう遅い。苦笑いしながら、壮太は携帯をポケットになおした。

 凛子の作品は会長の手元にあり、「うん、僕はこれがイチオシだな」などと言われている。

 ああ、きっと、優秀賞の商品は彼女の物だ。商品券5万円分。凛子は何に使うだろうな。

 物思いにふけっていた壮太は、隣りの守田から肘でつつかれた。守田は小声でこう

言った。

 ‘チクショウ、にやけて。うらやましいぞ’

 

    

Background photo by NEVER  BRAND.

Copyright  kue All rights reserved.
Never reproduce or republicate without written permission.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送