+++ ハンドメイド +++

 

 ダッダッダッダッ・・・・・・。

朝から晩まで、この音。今私が担当しているのは、ピンクのブタ。

朝から晩まで、ピンクのブタを作っている、この私。

 

 1ヶ月前、子供が産まれた高校時代の友人宅へ遊びに行った時のことだった。

そこには、幸せそうな友達と、幸せそうな赤ちゃん、そしてその幸せな空間に

華を添えるように、かわいいかわいいオルゴールメリーがあった。

 ‘ゆりかごの歌を カナリヤが歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ’

 メリーから流れるメロディーにそって、その友人は歌を口ずさみ、赤ちゃんの

胸をトントンと叩いた。

 「これ、メリーについているお人形さんが一個一個取り外せるのよ。手作り風の

小さなぬいぐるみだし、中にスズも入っているのよ。珍しくてかわいいから、

買っちゃった」

 知ってるよ。思わず私はそう言いそうになった。だって、そのメーカーのまさしく

友人が買ったメリーは、私が工場で作っているものだもの。

 

 そこに違和感が生じた。工場に座ってミシンを動かす誰もが、始終無口で無感動

に流れ作業をこなしている、そのオルゴールメリーを、消費者である友人は「かわい

い」と言う。赤ちゃんはそれをじっと見て喜んでいる。

 私が望んだ‘ハンドメイド’は、そんなものだったの?魂の入っていない大手

玩具メーカーの大量生産品を作る、それが私の成れの果て・・・・・?

 赤ちゃんの穢れのない瞳を見つめながら、私は途方に暮れていた。

 

 「昨日のテレビで、愛子様の特集あったの、見た?」

 ロッカールームのテーブルを皆で囲んでいる昼食時、勤続30年のいわゆる

おツボネが切り出した。彼女は皇室フリークで、必ずといっていいほどこの手の番組は

チェックしている。

 見た見た、と、勤続20年クラスのおばさまたちが相槌を打つ。

 「愛子様のおもちゃ、特にぬいぐるみは一つ一つ手作りの‘○○玩具研究所’で

作られているってね」

 「そうそう。ぬいぐるみ縫ってる作業の風景なんか、まーなんて優雅なことかって

思ったわあ」

 明らかに批判とねたみとが混じった声で、彼女たちは話している。テーブルの

端でぼんやりとその会話を聞きながら、私はああいった縫製が自分の理想だと、

心のなかで反論した。同時に、履いている黒の靴の中で足の指にきゅっと

力を入れる。

 ロッカーに目をうつした。私の目は、まるで透視能力があるかのように一つの

ロッカーを凝視しし、そこに自分が書いた「退職願」を入れたカバンを浮かび

上がらせた。

 

 まるで、履いていないかのように軽い。軽い軽い靴。私にぴったりの、靴。

 その日の夕方、私は踊るように小走りで交差点を渡り、目的地へ急いだ。この

靴を作ってくれたところへ。

 私が‘手作り靴 ナカタ’を知ったのは、今年の春だった。

 いつもの通勤途中の道すがら、たまたまとある建築会社の敷地内に小さな小屋

のようなお店があるのを発見した。

 あんなお店、今まであったっけ。最初、私はただそうぼんやり思っただけだった

が、3日後の夜、仕事の帰りがけに目にした光景。

 あの‘手作り靴 ナカタ’から、小さな女の子を連れた夫婦が礼を言いながら

出てきた。

 女の子の手には、リボンをかけられた小さな黄色い靴があった。遠目でよく見え

なかったが、手作り独特の味のある靴のようだ。

 女の子はまだ1歳にもなっていないようだから、もしかしてあれはファーストシューズ

として、両親から贈られたものかもしれない。そう、思った。

 すると、お店の中から若い男性が出てきて、その親子に手を振った。つなぎの作業着を

着て、髪の毛はクリンクリンに見えた。

 まるで、トム・ソーヤがそのまま大きくなったみたい。

 それ以来、私は心の中でそのお店を‘トムの店’と呼んだ。

 

 「中田さん」

 「ああ、いらっしゃい、遠藤さん」

 勢いいさんで飛びこんできた私を、トム、いや中田さんは少し驚いた目で見上げた。

手元には、制作途中の木の足型があった。狭い店内は、プンと木と革の香りがする。

 「今日、退職届を出してきました」

 そう言った私の頬は、きっと高揚感から紅潮していたに違いない。なぜなら、中田さん

はクセのある前髪が隠しがちな眼鏡の中で、目を瞬きながら私の両頬を眺めていたから。

 「はあ・・・・・・、やはりそうですか。思いきったことをやりましたね」

 そうニヤニヤとしながら、言葉とは裏腹に少しも驚いた風ではなかった。

 私が今履いている靴、この靴は少々値段が高めだが、この‘手作り靴 ナカタ’で採寸

から仕上がりまで3週間もかけて丁寧に作られたもので、履き心地は、まさに「天にも昇る」

ようなフィット感だった。

 ‘この世のものとは思えません’

 思わずそうつぶやいた私に、最初にこの店を訪れて以来初めて、中田さんはニッコリ

微笑んだ。‘光栄です’、そう恥かしそうに、返した。恐縮したトム・ソーヤ、という図が私の

中に浮かび、その瞬間心の垣根をとっぱらった私は一気にしゃべりだした。

 悶々と抱いている自分の創作への愚痴をぶちまけたのだ。息もつかない勢いで、ぶちまけた。

 

 「同じモノツクリとして、遠藤さんの言ってることはよく分かりますよ、って中田さんが

言ってくれて。すごく嬉しかったです。後押しになりました。」

 実際、それは本当だった。何気なく立ち寄ってみて何気なくオーダーをしたけれど、

いつ訪れてもモクモクと手元の作業をこなし、ひょうひょうと楽しんで仕事をしているよう

な彼の後ろ姿を、私は眩しい思いで追っていたのだ。

 今まで座って作業をしていた彼は、つと立ちあがった。身長185cmのトムは、口に

片手を当てて考えこむような仕草をした。

 「・・・・・・、俺の言葉が、うら若きイチ女性の人生を決めてしまって、いいのだろうか?」

 そう呟いた姿はまるで・・・・・・、やはり悩めるトム・ソーヤであって、私は思わずクスリと

笑った。

 

 「では、今日は帰ります」

 もう外が暗くなったことに気がつき、私は座っていた椅子から立ちあがった。

 これからどうするかを、家に帰って真剣に1人で考えなければならない。縫製の専門

学校にもう1度通うか。テレビで見たあの玩具研究所に直接電話してみるか。修行の旅

に出るか。選択肢はたくさんある。少なくとも、あの工場で無味乾燥にミシンを動かすより

も、はるかに「生きている」と実感できる選択肢が。

 「あ、遠藤さん」

 帰り際、ドアに手をかけた私に中田さんが声をかけた。はい?と振りかえると、なぜか

言いにくそうな表情をして彼は突っ立っている。

 「来週から、このお店をしばらく閉めます」

 え?

 「閉めるって・・・・・・、やめちゃうんですか?」

 思わず、そんな、と思った。彼の励ましで私は仕事を辞めたのに、その彼が今度は

お店をやめるというのか。滑稽すぎる。

 「いえ、やめるわけでは。実は昔修行をしたドイツでお世話になった職人さんがいてね。

彼が今度の夏、新しい店を出すんだ。その開店準備を少し手伝えたら、と思ったし、

同時にお祝いに駆けつける意味もある。むこうには靴職人の仲間がたくさんいるから、

久しぶりに会って情報交換もしたいしね。」

 はあ・・・・・・、と私はぼんやりと頷いた。トム・ソーヤは、意外とワールドワイドな人だった

ようだ。

 「どれぐらいお留守なんですか?」

 「1ヶ月弱かな。だから、しばらくお会いできませんがお元気で」

 

 「私も一緒に行くもんね」 

 アパートの鍵をしめながら、私は何度呟いたか分からない言葉を、また呟いた。

 多分、今日の夕方ぐらいに彼は飛行機に乗るはずだ。まだお店にいるだろう。

 多分、とか、だろう、とか。そんなあいまいなことでいいのだろうか。

 「いいんだもんね」

 仕事を辞めたら、私の中で何かがふっきれて、もう怖いものなど何もない。ドイツ

で、中田さんを通じて職人の姿勢を学ぶことがきたら。そう本気で考えている。

 そして・・・・・・、‘しばらくお会いできませんが’と言う彼の表情に、何か感じるものが

あった、と強気に思えるのも、ふっきれているせいだと思う。

 大きな旅行バッグを肩にかけなおし、私はアパートの階段を降りた。

 きっと、中田さんは眼鏡を上げながら、‘俺がイチ女性の人生を決めてしまって・・・・・・’

と言うに違いない。私は緊張しているはずなのに、おかしくなって笑った。

 

 実際、今目の前にいる彼は目を丸くしたまま呟いた。

 「果たして、俺がイチ女性の人生を決めてしまっていいのだろうか・・・・・・?」

 ただし、先日と違う点。中田さんは、作業着ではなく背の高い身体にスーツを着ている

こと。クセっ気のあるボサボサの髪は、きれいに整えられていること。

 何より、先ほどのセリフを、微かにはにかむような笑顔で言ったこと。

 「いいんです」

 私も、笑顔で返した。暖かい午後の陽射しが差しこむ中、私の心の中にあった霧が、

ぱあっと晴れた瞬間だった。

 

      


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