+++ クリスマスの対決 +++

 

 寒くって、息が白い。紗江は、わざと顔を天に仰いで息を吐いてみた。

 空の暗闇に、息の白さが対照的だ。

 顔をまっすぐ前に戻すと、クリスマスのイルミネーションが施された道をたくさんの

人が歩いている光景が目に入る。

 「We wish you a marry christmas、か・・・・・・」

 そう呟く彼女は、ふと歩く先に目的のカフェの灯かりを見つけた。おお、寒い・・・・・・、

と、コートの襟を片手でかきあわせて、ブーツの足を速めた。

 店内は、天国だった。暖かく、コーヒーのいい匂いが紗江の空腹の胃を刺激する。

 待ち合わせをしている相手の姿がよく見えるように、窓辺の席に座る。

 手に持ったコーヒーカップを両手で包むが、暖かさが直に手に伝わってこない。

 ふと、まだ皮の手袋をしていたことに気がつき、手袋を取ろうとして何気なく視線を

前にやった。

 彼女の座っている席からごく近くの席に、見覚えのある男性が座っている。体を

紗江の方に向けて座っているので、紗江とその男性はイスを何個か隔てて向かい合っ

ている状態だ。

 その時、相手の男性が紗江の視線に気が付いたのか、目を落としていたシステム

手帳から顔を上げた。紗江と真正面から、視線がぶつかる。

 瞬間、紗江とその男性は「ああ!」と声を上げた。

 

 「健太、あまりカッカならないようにしないと・・・・・・」

 第2ピリオドも、城北に押されたままの状態で終わった。選手たちは、焦る気持ち

を最大に顔に出しながらベンチに戻ってきた。

 「カッカするなって言う方が無茶だよ。城北のヤツら、反則すれすれを繰り返すん

だからさ。紗江も見てただろ?バカにしてるよ、俺らを。」

 うん、と紗江は頷いた。彼女がマネージャーをつとめる城西高校のアイスホッケー部は、

道内でも向かうところ的なしの強豪、私立城北高校と練習試合を行っていた。

 相手は、選手1人1人がジュニア時代から道内でエース級という選手をかき集めた、

いわばホッケーのエリート私立高校。

 片や、紗江の属する城西は、ホッケーなど素人だった人間ばかりで形成された、

田舎の公立高校。

 こちらから練習試合を申しこんだのは、無謀だったのではないか、と、紗江は試合

運びを見ながら、監督を恨めしく思った。

 キャプテンの富樫健太は、紗江と同じクラスの生徒だが、頭に血が昇りやすいのが

欠点。今も紗江は、彼がいつ大爆発をしないかと気がきではなかった。

 案の定、あっという間に第3ピリオドが終了。城西は、1点も取れずに完敗だった。

 今日という日に向けて、あれだけみんな練習したのにな、弱小チームなりに・・・・・・。

 紗江は、負けるとは分かっていながらも、普段の部員たちの努力を見ていただけに

がっくりと肩を落とした。

 「まあ、相手が強すぎたな」

 のん気な監督がそう笑って、部員たちが帰り支度を始めたとき、リンクから引き上げる

城北の選手たちの大きな声が聞こえてきた。

 「なんか、ウォーミングアップにもならなかったな」

 「ほんとほんと。それにしては熱血なオーラ出しちゃって」

 この言葉に、今まで我慢していた紗江の頭の血管がプチン、と切れた。

 「ちょっと」

 リンクに響き渡る、ドスの聞いた声を出して、紗江はヅカヅカとその軍団の前に走り

出た。監督を始め、健太たち皆が蒼ざめた。

 「それはないんじゃない?あんたたち、少しばかりエリートだからって勘違いしてるのよ。

反則ばっかりの汚い手ばっか使ってさ。試合の審判に賄賂でも渡してんでしょ」

 もうだめだ、止まらない。紗江自身、頭では‘ヤバイ’と思っていても、彼女の勝気な

性格はおさまらなかった。この相手には、いつかこう言ってやりたいと思っていたのだ。

 軍団があまりの意外な瞬間にひるんだその時、彼らの背後から低い声が聞こえた。

 「おい、試合は正当なものだぜ」

 声の主を見たとき、紗江は即座に‘ごめん!!’と言って帰りたくなった。城北の

エース、槙田裕也が、しかめっ面をして立っていた。

 「ひえ・・・・・・槙田・・・・・・」

 健太たち城西のメンバーが、一層、顔面蒼白になって慌てた。そう、槙田。

道内でトップのチームを率いる彼は、無口で、しかしホッケーに対する厳しさでは

高校生とは思えないプライドを持った選手だった。孤高のエース、そういった雰囲気

をかもしだしている。

 その槙田が、紗江の前に立ちふさがっているのだ。健太たちも慌てたが、紗江自身

が一番慌てた。けれど、彼女はグイ、と顎を上げた。

 「何?なんか用?正当ですって?あの反則すれすれが?」

 「・・・・・・」

 槙田はじっと、鋭い眼で紗江を見下ろした。

 「あいつらが、失礼な口を聞いたのは悪かったよ。それは謝るけど、試合にいちゃ

もんつけるのは気に入らねえ」

 

 キーパー用のプロテクターを着けた紗江は、血の気を亡くしてゴール前に立っていた。

 「あいつ、なんでこんなことに」

 健太が頭を抱えた。

 「でも、あの槙田さんと対決した女なんて、道内探してもいないと思いますよ。これは

先輩にとって、いい思い出です、うん」

 槙田ファンでもある紗江の後輩マネージャーの女の子が、興奮覚めやらぬ顔で

ベンチから身を乗り出した。飽きれたような顔で、健太はそのマネージャーを見た。

 「ばか、槙田を甘くみるなよ、ヤツは本気で来るぜ」

 リンクの真ん中にやってきた槙田は、制服にプロテクターをつけた紗江をチラっと

見て怪訝そうな顔をし、ボソリとこう言った。

 「おい。制服じゃ怪我する」

 「ほっといてよ。さあ、いつでもOKよ」

 威勢よく言ったものの、紗江は今すぐこの場から逃げたい一心だった。売り言葉に

買い言葉、周りの人間たちの揶揄もヒートアップの原因になって、なんということで

あろうか、‘勝負してやろうじゃないの’ということになってしまった。

 お互いシュートは3回まで。この勝負に紗江が勝てば、城北は全員、健太たち

城西の選手に頭を下げて先ほどの侮辱的な言葉を謝る。槙田が勝てば、紗江が

頭を下げる。

 それにしても、私はなんてアホなんだろう。いくら小学生の時6年間、ジュニアチーム

でホッケーをしていたとはいえ、全国の社会人チームが注目している槙田のシュートを

阻止できるはずないし、彼の守るゴールに点を入れられるはずない。このカッとなる

性格、どうしてなおしておかなかったんだろう?

 ふと、前を見やると、中央で槙田が何やら迷っているように見えた。スティックでパック

をもてあそんで、一向に勝負を始める気配がない。

 「槙田君、準備はできたって言ってるでしょ。本気でかかってきなさいよ、男でしょ」

 紗江が大声で怒鳴ると、健太を始め城西のメンバーは‘ああ・・・・・・’と頭を抱えた。

 逆に、城北のメンバーは‘おお’とどよめきを上げてはやし立てた。

 キラ、と槙田の目が光ったような気がした。紗江はドキリとする。

 次の瞬間、風のような動きで、槙田が紗江の方向にパックを操りながら滑り出した。

 

 椅子をいくつか隔てた店内で、紗江と槙田は、お互い指を差し合ってしばらくポカン、

としていた。そして、槙田が立ち上がってコートと荷物を手に持ち、紗江のいる席へ

移動してきた。

 「久しぶり」

 2人は、槙田が紗江の前の座るか座らないかのうちにどちらともなく手を差し出して、

がっしりと握手をした。

 紗江が高校時代以来に見る槙田は、少なくとも外見上、その頃の彼と少しも変わってい

なかった。上背のある体を、きっちりとスーツに包んでいる。

 「元気なの?」

 そう聞いて笑った槙田の目元を見て、紗江は、あの時には彼にあった棘のような鋭さ

が、いい意味で少し抜けていることにも気がついた。

 「槙田君も、元気そう。新聞なんかで、随分活躍を目にしたのよ」

 「昔、ね」

 そう言ってまた少し笑った。紗江が知る限りでは、彼は高校を卒業し道内の大学へ

進んだ。そこでももちろんホッケーを続け、社会人ホッケーチームで有名な大手の

企業へスカウトされた。しばらく活躍していたが、去年大きな怪我をし、今はその

チームのコーチをしていると聞く。しばらく、紗江たちは無言で相手の顔を見たり、

外の風景を見たりした。ふと、槙田が口にした。

 「今日はクリスマスイブだけど、あの日も同じ24日だったよな」

 「えっ?そうだった?」

 ‘あの日’だけで、紗江には彼が何のことを指しているのかすぐに分かった。

 「確か、そう。10年前の今日だよ、あのシュート対決」

 「そうかあ。イブの日に、なんてバカなことやったんだろうね」

 紗江がそう言うと、小さく槙田が吹き出した。紗江もたまらず、笑い声を上げる。

だんだん2人は笑いが止まらず、店内の人が皆振りかえるような大声で笑いあった。

 「ああ・・・・・・おかしい。槙田君に勝てるはずないのに、私ったら。でも、槙田君

私が頭下げるの、許してくれたよね」

 しばらく笑いあって、笑いのために目からにじみ出る涙を片手でぬぐった紗江は

一息ついてそう言った。 

 紗江の完敗の後、土下座だ、とはやし立てる城北のメンバーに向かって

‘いい加減にしろ’と一喝し、さっさとその場を後にした槙田。その彼の後ろ姿

を見たのが、紗江にとって最後の槙田の姿だったのだ。

 「まあ・・・・・・ね」

 さっと照れたような笑顔で、槙田が手もとのコーヒーに目を落とした。紗江が

見たこともないような表情だった。

 

 いらっしゃいませ、と店員の声がし、紗江の方へ向かってきていた彼女の友人は、

ちょうど紗江の向かいの席を立った男性とすれ違う形で席についた。

 すれ違いざま、女性の本能でその男性を観察したようだった。店を出ていく彼の

後姿を目で追って、紗江の前に座った。

 「ごめんね、仕事が長引いて」

 その友人、ゆかりが両手を合わせて謝った。紗江は、短大時代からの仲間である

ゆかりとお互い彼氏のいない同士、イブは居酒屋でも行って騒ごう、と約束をしていた

のである。

 「で、今の人誰?」

 早速聞いてきたゆかりに、紗江はしどろもどろになって答えた。

 「高校生の時の、知り合い。ゆかり待ってる間に、偶然会ったの」

 ふうん・・・・・・、とゆかりは疑わしそうな目をして、紗江の上気した頬を見た。

 ゆかりは、店内に入る前に道路に面した窓から、紗江と男性が名刺を交換して

いるのを偶然見たのである。しかも、お互い名刺の裏に何かを書き込んで渡して

いた。あれは、携帯の番号に違いない。

 飽きれたようにため息をついたゆかりは、けれどニヤリと笑ってこう呟いた。

 「なんだか、紗江と騒げるクリスマスイブは、今年が最後になりそうねえ」

 え、と紗江はゆかりの言葉に顔を上げたが、その目は熱を持ったように潤んで

おり、心ここにあらず、という光を出している。

 ちょうどその時、店内のBGMが、アカペラの「Silent Night」から軽快なリズムの

「Jingle Bells」に変わり、鈴の音が鳴り響いた。

 

      

Background photo by  空に咲く花


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