+++  チョコレートをご馳走さま  +++

 

−2−

 

 翌日、浩輔のマンションから一緒に出勤した2人は、一緒に地下鉄に乗り、

同じ駅で降り、そこからお互いの職場へと分かれた。

 じゃあね、がんばって、と文香が白い息で声をかけると、浩輔は小さく笑って

頷きながら首にグルリと巻いた若草色のマフラーを少し触った。

 文香は生花店「Active Flower」につき、一足先に来ていた智子と挨拶を交わす。

昨日のバレンタインデー、どうだった?と、お互い彼氏持ちの2人はひそひそと

楽しげに話した。

 午前9時には店長がやってきて、早速ラジオのスイッチを入れる。聞き覚えのある、

古い歌謡曲が流れてきた。智子は、もう何も言わずにもくもくと大きなバケツの水を

かえていた。

 こうやって、一日が始まる。そして、いつもと変わりなく、一日が終わる。文香は、

そんな毎日がとても好きだった。そして、その毎日に、ピリっとスパイスのような

浩輔が存在する。それだけで、彼女はもう何も望まない、と思うのだった。

 

 お昼の12時になった。いつもの、あの賑やかな音楽。今日も、バレンタインデー

の話から始まっている。あのおじさん3人組は、どうもバレンタインデーにコンプレックス

があるらしい。

 「結局、あんた何個チョコレートもらったと」

 「3個よ」

 「やるやない。けれど、いい機会だから声を大にして言いたいね。バレンタインデー

なんか、製菓会社の策略なんだから皆それにのるなよって」

 「おじさん、それ負け惜しみ負け惜しみ」

 どうでもいい話なのに、思わずクスリとしてしまう。文香は、背後で智子が接客している

ことを思い出し、咳払いをし真面目に花バサミを手に仕事を開始した。

 「鴨志田やけどね」

 「おお、鴨志田がまたなんかやらかしたんね」

 浩輔の名前に彼女は反応した。今日はなんの話題で、彼は遊ばれるのだろう?

 「今朝局内で会ったんやけど、いい色のマフラー巻いとったっちゃね」

 「それはもしかして・・・・・・?」

 「絶対にそうよ。本命からのプレゼントに違いない」

 「今、ADの葉子ちゃんがショックな顔したね。でも、鴨志田は見かけはいいけど

お洒落に関してはまったくセンスがない男やけね」

 「そうそう。見かけはいいし性格もいいけど、字が下手くそやし」

 「そうそう。でもそんな男が、あんな趣味のいいマフラーをいきなりコーディネートできるね?

できんやろうもん。しかも、相変わらず颯爽とマフラーをたなびかせて歩きよったけ、わし

マフラーの端っこを掴んでやったけね」

 「人殺しかい、おっさん。でも、これをお聞きの鴨志田アナファンのみなさん。彼には

本命がおるとですよ、残念でしたね」

 「あんたそんなこと言うと、また抗議のfaxが届くとやろうが。‘鴨志田さんは絶対フリーです!’

とかって」

 ひゃっひゃっひゃっ、とおじさん3人組の陽気な笑い声がラジオから聞こえてくる。

 文香は思わず真っ赤になってしまった。公共の電波でああいうことを言われると、非常に

照れてしまう。

 

 今朝、2人とも準備が終わってさあ家を出よう、というときになって、浩輔が寂しそうにこう

言った。

 「俺、たくさんチョコレートもらったけど、なにか1つ物足りないんだよね・・・・・・」

 「なに?」

 狭い玄関で、しゃがんでブーツを履いていた文香は顔を上げた。ポケットに手を入れて、

少し怒ったような顔の浩輔が彼女を見下ろしていた。

 「分かってますって。はい、私から。ハッピーバレンタインデー」

 どこに隠していたのか、文香は取り出したマフラーをふわりと浩輔の首にかけた。そして

きれいに巻いてやる。ウールの手触りで、きれいなモスグリーンのマフラーだった。

 「お。やっぱり用意してたの?」

 「そう。チョコレートなんて、いらないでしょう?寒いから、毎日使ってね」

 ブラウン管で時々見かける彼の爽やかなスマイルとは一味違う笑顔で、浩輔は文香

に顔を近づけた。唇の寸前で、文香が気がついたように言う。

 「あ、歯は磨いていますから。チョコレートの香りはしないはずよ」

 

 「ありがとうございました」

 智子の、客を見送る声で我に返った文香は、慌てて店の外に出て智子と一緒に頭を

下げた。顔を上げ、ふう、と息を吐く。そんな文香を、智子は怪しげに見ていた。

 「何かあったの?赤い顔して・・・・・・」

 「いえね。昨日のことやら今朝のことやら、色々思い出しましてね・・・・・・」

 「いいですね、お熱くて」

 文香と智子は、笑いあいながら花で溢れる店内へ帰っていった。そして文香は、同時に

こんなことも思っていた。

 ‘来年はどんなチョコレートをご馳走になれるのだろう。早く1年たたないかしら・・・・・・’

 

   

Background photo by Four seasons.

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