+++ アルコール・プラスα +++

 

 あっ、いたいた。お待たせ。そう遠くで言いながら、志乃がやってきた。賑やかな店内の喧騒をもの

ともせず、テーブル内をすいすいと動き回る店員の間を更に上手にぬって、彼女は俺の席へ到着

した。

 「ふー」

 席に着いた志乃は、大げさに頭を後ろに反らせ肩で深呼吸するように息を吐いた。

 「お疲れ。なに、今日は忙しかったの?」

 「そうなの。帰り際に限って支配人は仕事をよこすのよ。人が予定があるってのを、敏感に察知する

んだから。暗い暗い」

 そう言いながら彼女は、おしぼりを持ってきた店員にアリガトと微笑を返した。

 「何に致しますか」

 俺は、志乃と飲む時はいつも‘先に着いた方は構わず1杯やっとく’という2人のルールを忠実に守り、

すでにジョッキビールの大を半分ほど飲んでいた。

 「じゃ、アンズ酒のソーダ割り。で、何食べる?」

 志乃が俺に聞く。お互い猛烈に腹が減っていることを確認しあって、串や揚げ物、サラダまで大いに

注文する。

 バッグを自分の隣りのイスに置き、スーツのジャケットを脱いでいる。俺はぼんやりと、志乃のその動作

を見ていた。ジャケットは無造作にイスの背もたれにかけて、白いブラウスの袖をまくっている。細くて白い

腕が現われた。

 俺は思わず吹き出した。

 「なんか、お前っていつも本気な様子だよな」

 「私はいつも本気よ。本気食い、本気飲み。アハハ」

 このサバサバした志乃の雰囲気は、高校時代からちっとも変わらない。今目の前にいる彼女は、肩まで

真っ直ぐに伸びた黒い髪といい顔立ちといい、美人だ。黙っていれば、お嬢様系で通るかもしれない。

 俺でさえ、どんどんときれいになっていく彼女の見かけと、ちっとも変わらないこの中身のギャップにとまど

いを覚える。ごく至近距離のテーブルに座っているサラリーマンのグループが、チラチラと志乃を盗み見て

いるのも俺はとうの前から気付いていた。

 「あのね、私ずっと思ってたんだけど、ビールって苦手なのよね」

 「知ってるよ」

 「いいの、聞いて。でも飲み会って大抵、‘とりあえずビール’ってなるでしょう。あれ、何なの?」

 議論好きの彼女は、こうやっていつも俺に課題をつきつける。まだアルコールも入っていないのに、陽気

な奴だ。俺は自分の手元にあるジョッキを持ち上げて、口に運んだ。一口飲んで、答える。

 「それは・・・・・・、とりあえず、ビールで乾杯しようということさ」

 「なんか説得力ない。そのまんまだし。貞二、ほんとに文学部だったの?」

 「関係ないだろ」

 「それでさ、ビール苦手な方としては、飲みたくもないものをそれから無理矢理1杯飲まなくちゃいけないわ

けよ。私はすぐにでもアンズ酒をたのみたいのに、やっぱりグラス空けてからじゃないと注文できないでしょ?

その最初のビールを飲み終えるまでの時間が、苦痛なのよね」

 肩をすくめた拍子に、彼女の開いた襟元で小さなネックレスがキラリと光った。あれは多分、去年の誕生日に

俺がやったダイヤ風ニセモノペンダントだ。確か「いいいい、これで全然OK」と、志乃は喜んでいた。

 志乃のアンズ酒と料理が運ばれてきた。そして、俺たちは、急に口をつぐんで息を潜めた。

 「・・・・・・英二とノリに」

 「英二とノリに」

 俺たちはそう言って、神妙にグラスを合わせた。

 

 しばらく、俺と志乃はそれぞれ黙って、自分自身の気持ちに向き合って、更に英二とノリも加えて対話した。

 俺は英二に、今夜だから、見ててくれと言う。ノリには、お前がいたら俺の決心も、随分楽に遂行できたのに

な、と笑いかけた。

 目を上げると、志乃も目をつぶっていた。少し開いた口もとを俺は見つめる。2人と何を喋っているのだろう。

 英二とノリが乗った車が高速道路でスリップした夜、それは大雨の日だった。

 高校を卒業して初めて2人で遠出をするんだ、と、ノリが嬉しそうに俺と志乃に言った顔を、今でも鮮明に覚え

ている。

 小学校からのくされ縁で、大学までも一緒のところに通うことになった俺たち4人は、何かというと集まって時を

過ごした。

 4人の絶妙なバランスが変わったのは、英二とノリが付き合い始めた高校2年生の時。俺と志乃はそんなそぶり

を見せなかった2人に驚いた。

 そして、おおかたの予想を裏切って、俺と志乃は付き合わなかった。俺はホッケーに夢中だったし、志乃もフィ

ギアスケートにのめりこんでいた。(彼女は北海道内で1位になった経歴を持つ)

 ノリが嬉しそうに俺たちに告げた時、志乃だけは最後まで心配げな表情を崩さなかった。「免許、取ったばかり

なんでしょ?」と英二に言う志乃の姿も、俺はよく覚えている。彼女の心配は、的中した。

 

 「そのネクタイ、いいじゃない」

 気がつくと、志乃が俺の首元を見ていた。もう、いつもの志乃の雰囲気に戻っていた。俺たちの暗黙のルール

その2で、2人を思って乾杯したら気持ちを切り替えること。

 「彼女でもできたの?」

 さり気なく聞いてきた。俺は苦笑いをして首を振る。もし彼女ができたら、敏感な志乃が気付かないはずはない

だろ、普段から勘が鋭いって、お前言ってるし。そう志乃に言うと、彼女はクスっとおもしろそうに笑うだけだった。

 「で、さっきの続き。とりあえずビール、バナシの続きなんだけど、」

 「お前、ワインも駄目だったっけ?」

 彼女の会話を遮るように(俺はよくこうやって彼女にわざと意地悪をする)言った。普通の女だったら、話しの腰

を折られたことに少なからずムっとするところだが、俺の意地悪を小学校から知っている志乃は、どこ吹く風で受け

流す。第一、他の女対して俺は意地悪はしない。‘クールな奈良崎’で通っている(らしい)。

 「うん、飲めない。で、私が言いたいことは、貞二とだけなんだよね。とりあえずビール、をしないで済む相手って」

 「俺って、ただそれだけの存在」

 からかうように言う。志乃は、少し紅潮し始めた頬でニコリと笑った。

 「そう、気取らずにいきなりアンズ酒が飲みたいなーって時に必要な存在」

 すがすがしい笑顔で、ひどい衝撃の言葉を言ってくれるもんだ。彼女流の意地悪だということも分かっている。

意地悪には意地悪で。俺たちはとっさに、そんな遊びができる。

 しかし、俺の存在は本当にそれだけかもしれないな、とふと思う。結局、大学の4年間もほとんど一緒にいて、

働き始めた今も時間がとれれば1ヶ月に1度はこうやって食事をする俺たちは、実際恋人同士ではない。単なる、

旧知の友。お互い、英二とノリの死という同じ寂しい傷を抱えている。

 

 俺は腕時計を見た。もう10時になろうとしている。志乃は実家住まいだから、そろそろ帰さないといけない。

 「おい、もう10時だぜ。・・・・・・とりあえず、ここを出よう」

 俺は決心を実行できないまま時が過ぎたことを呪いながら、こうやってチャンスは過ぎていくのかと自分を情け

なく思う。

 うん、と言葉に返したものの、気がつくと志乃はいっこうに席を立たない。俺は不思議に思って、志乃、と声を

かけた。

 じっと、テーブルの一点を見つめているように見える。俺は、心臓がドクリと動くような感覚を覚えた。

 「さっき私が言ったのはウソ」

 小さな声が聞こえた。気をつけないと、聞き取れないほどの小さな声。俺はポケットから財布を取り出そうとして

止めたままだった手を下ろし、彼女を見下ろした。

 「気取らずに、ありのままの姿で接することができる古い友達・・・・・・」

 台本を棒読みするかのように、彼女は言った。俺は次の言葉を待った。長い時間に感じられた。

 「貞二にとっては、私ってそんな存在なのかな、やっぱり。」

 俺はゆっくりと、元のイスに腰を下ろした。心なしか、志乃の目が潤んで見える。頬も紅潮して、彼女はひどく、

美しかった。

 

 ずっと、愛していた。お前を自分だけのものにしたい。独占したい。

 

 俺の口からその心の叫びが飛び出しそうになった時、志乃が少し微笑んだまま、震える声でこう言った。

 「今日は、家に帰らなくていいんだ。同僚の女の子の家に泊まるって言ってきたから」

 

 俺たちはしばらく、口もきけずにいた。

 そして、トン、と俺は背中を押されたように、少し体が前へ出た。

 英二とノリの手を、背中に感じた。

 

      

Background photo by Scrip 1.

Copyright  kue All rights reserved.
Never reproduce or republicate without written permission.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送